温度感のある景色

自分のために書きます。

全部分かろうとしなくていい。

「でもほんとうに起こっていることをみんな、きみが見なくてはならないというわけじゃないんだ」

 

自分の見たもの聞いたもの感じたものを、全て誰かに共有する必要なんてどこにもありやしない。それは知っていたのだけれど

社会で生きていく上では、部分的にであるにしろ、他人の目から見て、道理を持って生きているように見えなければならない場面がたくさんある。のであるからには、なるべく多くの他人からなるべく多くの私に起こった出来事について分かってもらいたいという気持ちは根強くあるのです。

 

最近京都に行っていて、とても良き体験をしたこと であったり、

この2年間の学生生活でいろんな苦労と努力をしたこと であったり、

自分が正しく日本語を操っているように感じる時の誇らしさ であったり、

欠点しか説明できないうちの家庭にある幸福 であったり、は

ちゃんとここにあるのだけれど、

でも外に出そうという気持ちを持って、外に出さなければ、

なかなか受け取ってもらえないのだなあと思って。

そんな当たり前のことに、悲しみを覚えているわけではなく、そうなのかあと感じているのです。

 

元来おしゃべりであるし、ツイッター大好き人間であるし、

どんな些細なことでも人に知って欲しいという気持ちが強い私ではあるけれど、

些細なことを上手に話すことに注力しているうちに、

日々の気づきの中で少しずつ確かに紡がれている”生活”のような「もの」を

自分でも手放しそうになっていたりしていて。

その「もの」がある事実をあんまり知りたくなかったりもしていて。

(だって可愛くもなく綺麗でもなかったらどうするの!) 

 

自分の思っている以上に伝わってないことってあるんだなあと最近びっくりしたのでした!

 

そして「伝わっていない」ことが「なかったこと」になってしまうということに、

私は誰よりも敏感になっていたはずであったのに、と

想定通りにいっていないことに少なからず動揺があります。

 

そういうことがあると、人との距離感をいつも以上に計りかねるけれど、

過去の自分がコトバを持って主張していたことが役に立って、私の喜びになり助けになってくれました。

 

この1年を私はどうやって「伝える」ことができるのか、「伝えない」努力をするのか、それはわからないけれど

散々好きじゃないと強情になっている実家の、私の部屋のベッドの上で、ただ”守られている””護っている”時間のことは今はまだ「事」にすらなっていないみたい。

でもそういう忘れてしまうような時間のことを

失くさずに持っていられることが何より私の望んでいる将来の姿なのかもしれません。

 

さとみは見た目をふわふわさせることって大事だと思っているし、

違和感を人にそのままぶつける方法しかまだ知らない、

美味しいものを前にしたときみたいな感覚だけが自分の原動力であるような人間です。

好きなときはワクワクしている人たちを見ているときと、

背筋を伸ばして鼻歌歌いながら歩くまたはスキップすることとか

幼い気持ちでいられるとき。

好きなおしごとは、混沌したテーマの会議を整理することと、

日本語の構成をしたり、誰かの代弁をする文章を作ること。

そう!それが言いたかった!私じゃなくて私が手がけたものに対する(素敵な)(できればポジティブな)評価をされたい時期にきたのかな!って。

 

11ヶ月くらいかかったけどやっとまた春を迎えることができそうです。

でもまだ一度も一人で越えたことのない春に

緊張している最近です。

 

 

 

スペックの高い人になってみたい

タイトルまま。

 

私の好きな人と私の好きな人の気があっていて、

「ああ私の好きになる人は間違ってなかった」

と思った。

 

世界観が好きな人に対して、私ができることはなくて、

私の好きな世界観の中の少しに私がいられるなら幸せ。

だから大体「好きな人のことは見てたい」ってなる。

 

でも、なんだろう。

最近好きな人に対してしつこい私がいる。

私は”好きな世界”の中でだけ生きられたら、私の世界は破綻していてもいいのではないかみたいな。

むしろ私の実際生きてる世界の全貌とか未来とか無いのかなみたいな。

幻想に生きていたいみたいな?

 

中二病みたいになってきた。 

タイトルの話に戻ってみよう。

 

世の中いろんな人がいるみたいだ。

私は考えていることをアクセス数2くらいのこのブログにしか出せなくなってきた。

私を褒めてくれる人にしか、というか私が見下した人にしか私の考えを整理して話してない気がする。

 

落語家の言葉で「自分と同じくらいのうまさだなと思う人は、実はうんとレベルが高い人」みたいな話があるけど本当にそうで。

母の妹に会うたびに

「ああ私はただただプライドが高いだけなんだな〜」

と実感する最近。

 

ちゃんと大人に言わなきゃな。

聞いてもらって、

早いうちに砕け散った方が

せっかくの大学生活だし。

 

あーこっっわ。

 

どこへ行くのかな楽しみ ってみんな言うだけ言う

お世辞を真に受けてる。

まだ2年でしょ楽しみだね って。

私は全然楽しみじゃない。もう内定くれるところがあるならそこに捧ぐよ。

そこでてっぺん取れるようにだけ頑張るのに。

 

 

どこか他の場所に行けば、信じられる大人に出会えるんじゃないかという幻想に取り憑かれている。

 

インターン応募しなければという病気や!

 

自分にできることは限られている。

自分はそんなにタフではない。

この二つは腹落ちというか、身体に刻まれているのだが。

それでも・・・

 

一瞬愚痴を書いておく?

彼氏のpjに一緒に来るって私には絶対むりだわ。

絶対意識しちゃう。完全な参加者にはなれない。

世の中いろんなパートナーシップがあるよね。

終わり

 

 

結婚式のキャストやるって決めたんだけどさ。

それだけじゃダメじゃん?って言ってる自分がいるみたいで。

なんなんだろね

誰でもいいから私のことを見初めて鍛えて立派な女にしてよって。

人に頼ってる時点でだめなんだろうけど。

 

唯一無二の私を愛してよ

 

閑話休題

 

中一の時に内部生の目の大きな態度がでかいあの子が

「あー病むわー」

って言ったのが私が聞いた”病む”の最初。

 

病む?悩むとは違うの? ってなってたショートカット前髪なしの私。

 

ファッションメンヘラにインターネットは格好のちょこれいと💖

 

中1の春が最初。

次がいつかな

 

学校にどうしても行きたくない日には、とりあえず家を出て藤沢のスタバに寄ったりして、2時間目の終わりくらいに保健室からの相談室に行く

そんなのを覚えたのは高校1年の冬かな

音楽会委員なのに学校に来ないってツイッターで悪口書かれて

その幼さに私の友達が怒って

いやー悲惨だったなーーー

 

信じられないくらいたくさん嫌なこと、トラウマなことが起こった高校3年間だった。

最後まですっきりはしなかった

あんなに毎日メールして電話して泣いて慰めあってハグし合ってた親友とぱったり距離ができてしまって。

それが私の人との距離感がわからなくなったきっかけだったかなあなんて。

 

あの頃はアメブロだったね

アメ限にして病んだ記事を書いたり、わざと行間を空けたりするのが流行ってた。

アメ限にしても他の友達がみせてくる。噂好きは女の性だよね。

 

で、なんの話だっけ。

 

そう、

なんかさ、みんなホームがある っていう謎の感覚があって。

それが私のエネルギーの一部であったことは間違い無いんだけど、

そろそろ限界だよねっていう。

 

なんか気づかないようにしてたみたいで。

ふと、人からの発言で気付いてしまった。

「寂しい」

とか滅多に人の口から聞かなかったから。

私の寂しいエピソードが溢れてしまって、その沼に溺れています。

 

大好きな友達はいるし、多くなくていいと思ってはいるの。

でも、例えばfacebookに投稿して誰がいいねしてくれて拡散してくれてコメントくれるのかな とか

すごく仲が良くても同じ温度感って思えなくて自分から距離を取ってたりとか

逆に話したくてもなかなか私のために時間を割いてもらえなかったり

高校の友達だって大学に来ない上にプライドだけ高くなってく私にどう接したらいいのかわからないだろうし、

私も話せる部分話せない部分が人によってあって

大事にして一緒に歩んで行きたいからこそ醜いところは見せたくなかったりさ。

いつの間にか次のフェーズに行っちゃって置いてかれた気分になることばっかりだし。

 

人間関係のgive&takeを、誰より私が気にしてるのかな。

その上男女の恋愛とか、意味わからなすぎる!めんど!

 

友人関係に恋愛持ち込みたくないから社会人とつきあいたいんだよね笑

戦うのも嫌だし。同じフェーズにいる人は敵

え?じゃあ結局私がちゃんと友達でいられてできるなら親友になれる人はさ、同じ段階だけど違う世界じゃないといけなくて、かつ私の世界も分かってくれる人ってこと?

他人に何を求めてんの

 

器用じゃないから会った時に条件立てて人を見れるわけじゃないのにさ

 

 

キャリアとか抜きに付き合っていく高校までの女友達

暮らしのランクがこれから変わって行っちゃうのかなとか不安になる。自分で稼ぐのと誰と結婚するかとかでわかるようになっちゃうのかな。

でも私から切らなければ、みんなちゃんとさとみを認識してくれてると思うよ。

でもあの子達に、今の私のあれこれをぶつけられないのはさ、高校の時の「外で絶対やってやる」っていう気持ちだよねきっと。高校生活で全部やりきってればこんなことにはならなかったと思ってる。でも実力と精神力が足りなかったんだよ。仕方ない。親からの支援がなかったっていうせいにしてもいいと思ってるよ。仕方ない。

 

 今が大事だよ

春休みになったのにこんなので3年生心配しかない。

新しさをエネルギーにできてない気がする。

 

きっと、誰にでも全部話すことってできると思うの。

なんか私publicな面が広いんだ。

でも、本当に頼れるかどうかは別の問題で。

頼ったって、その人のホームはどこか別にあるわけでしょ。

じゃあ私はどうしたらいいんだろ。この脂肪だけはついた二本脚で立たなきゃいけないんだよ。つら。

 

 

日々辛い。

でも、自分の力で太陽の下に出ないと。

外身だけでも整えて、それをまず受け入れてくれる人を見つけて、その上で確固たる結果を残して、それで初めて立てる。

どんな分野でも突き抜けたら別の分野の突き抜けた似た感覚の持ち主に出会えるってさ。

 

 

自分が代替可能であることが嫌で、人と違うことしなきゃって思ってたはずなのに、

今自分と同じ人がいないことに絶望してる。

おかしいね

 

 

 

嘲笑もの

自分のように生きるべきだ

という人は別に自分を許してはいなくて。

 

許されたように生きる人って

大抵何も持っていないふりをする

普通に生きるすべを持っているのに。

 

負けてるのにそれを出したくなくて

私の心は削られて、そこに勝者の影が残る。

勝つ人はいつも私に影響を与えて、

でもその影響の反響をだいたい受け取っていて

でも痛くないのかな?

本当のところは私にはわからない。私が負けたことは伝わっているのに

そんなの不公平だ

 

不公平の上に成り立つ平等や

平等のない平穏を必死に守る主婦の姿が

神には

神はきっと男で

そいつには見えていて

それが性癖なのだろう。

 

 

なんども夢を見る。

おでこの斜め前に浮かぶその景色は、後ろの現実が透けてさえいるものの、だいたい本物みたい

最後の二言目から現実が始まって、最後の一言で目をつぶっていたことを認識して

そして眼が覚めるんだけど、しばらくその夢に浸る

iphoneを手にとって通知が来ていないことにがっかりし

一連のSNSをチェックしてから

夢のことを考える

デジャビュもあれば、昨日考えていたことの続きであったりする。

 

 

 

 

誰かになりたいなんて思うなら、

その誰かになったつもりになって言葉に残してしまえばいい。

 

 

春樹かぶれになると滝沢カレンみたいな言葉遊びになるね。

嘲笑もの

結果にプロダクトする

犬と猫を飼っている

 

猫は気まぐれに出てゆく

犬はいつも私を出迎えてくれる

 

犬と猫はいつか死んでしまう

 

猫は数日消えたのちに無傷で帰ってきた

犬は病気になり入院し死んだ

 

犬と猫は一緒に寝ていることがあった

その光景は私の平和の象徴だった

 

おわり

 

題名は好きな人から送られてきたボイスメッセージです。

破滅を感じるwww

生意気であること

自分って生意気なんだろうなって思った。

どこまで行けるかなんて考えてないけど、

どんな人に対しても自分はその場では対等であると芯から信じてるのかなと思った。

 

彼ら彼女に対して対等な視点から問いを立てられるとして、

私はその人らに何を問えるのか、問わせられるのか、は考えていかないといけない。

 

生きてる意味なんて何にもないと思っているのと同時に、自分は尊厳ある人間になるべきだと思っている

 

危険思想みたいだ。

でも、生意気であることが私の最後の砦なのかもしれない

 

つぶやき。

バーガンディのリップが似合う人

毎晩化粧水と乳液と美容液。クリームで全身をマッサージ。

週に2度、ボディスクラブ。

フレッシュフェイスマスクも週に2回。

2週目の土曜日は早く帰ってきて半身浴。

4週目の日曜日の午前は岩盤浴

月に一度ネイルサロン120分。脱毛サロンも同じ日に。

2ヶ月に1度カラーとトリートメント。

 

毎日のように送られてくるDMやinstagramをチェックして、

月に1度は一人で買い物。

クラブイベントのお誘いをスケジュールに入れて、DJをチェック。

女子会の予定を立てて、お店を予約して、

デートの前日にサロンの予約を入れなくちゃ。

 

作り置きのおかずは、野菜中心のヘルシーメニュー

外食続きにならないように、下ごしらえだけした具材を冷凍。

 

 

誰のための身体で、

誰のための私であったのか。

自分を満たすことへの義務感。

もう贅沢かどうかなんてわからない。

ただ、胸を張って歩くための、

ルーティーン。

 

原宿や表参道が楽しくて仕方なかった中学生。

銀座はまだ早いと思っていた大学生。

 

もてなすこと、もてなされること。

使う人、使われる人。

 

一度味わえば、もう戻れない。

そんな一食のために日々努力するのよ。

 

温もりって、愛って、涙が流れるような夜ってなんだっけ