分かることと分からないこと
まず、分かる事と分からない事があります。
分かる事の中には「分かる」のを分かっていることと、分からないけど「分かっている」事があります。
分からない事の中にも「分からない」のを分かっている事と、分からない事を分かっていない事があります。
では、分からない事が分かっていく瞬間について綴りたいと思います。
基本的に?
人と人との間で起こる事は「分からない」ことを分かっていなかったことに「気づく」瞬間が多いとおもっていて。
だから「おお〜こんな考え方もあるんだ」と思うと目の前の人が自分とは違う人間でかつ存在するべき人なのだと思えて尊敬できたりします。
秋の初めには分からなかったことが沢山ありました、私。
でも、今なんとなく分かってきたような気がするんですね。
いつもその積み重ねで分かってないままのことの方が多いのですけれども。
でもなんとなく今、分かってきたような気がするんですね。
それが すごく 怖い
秋の初めの私は「分からない分からない」ってすごく怖がっていたし考えていたし泣いていた。
その私が「分かる」ことによって消えてしまうようで。
ある意味で、自分が愛おしく感じられることで自分にとって成長なのですけどね。
だって「分かった」としても誰かにとっては「分かってない」だったり「正しくない」だったりするわけです。
そんなことを分かりながら、それでも「私は分かった」と言う事、口にすること、主張せずとも秘めておいておくこと。
全てにはなれないこと、神ではないことを「受け入れる」
それこそ”大人になる” ”確かな自分” みたいなことなのかなと思います
だから18歳と10ヶ月の私にとっては「大人になるのは怖い」
とちょっと思っています。