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温度感のある景色

自分のために書きます。

「健妄ってことにさせてね」

ーーー幾らでも自分の考えを主張できる現代で、

他人と他者と家族と身内と知り合いと友達と仲間と同志と

その他もろもろの人間と物体と情報に囲まれてーーーー

 

 

私の感情すら自分で認められないことがすごく苦しいと思う。

他人の正しさとか今日はどうでもいいと思っている。

吸収と放出の二種類ならどちらでもない。

 

 

生きていることの喜びとか、成長することの楽しさとか、他人と過ごす豊かさとか、

実感として知っていることがあり

でも一方で今望んでいることはありそうできっとない、幻想、夢、そんなたぐいのものなのだろう。

それが実現したとしても今まで得られていたものはきっと得られない。

 

バランスをとってやっていけることなんてあるのだろうか。

ちゃんと社会的動物として生きたい理由は他人が自分に棲んでいるからにすぎないのかな。どこから自我だと認められるのだろう。

 

 

悩んでるねとか考えてるねとかそういう時期だよねとか聞き飽きたし

何様のつもり?

それって人間は大体コピーで定型があるってことですか?それならば今すぐ義務を放棄します。

誰か、信頼できて尊敬できる誰かが、

全てデザインしてくれれば私はその通りにしますよ。

信頼と尊敬だって私の価値観で、自分でそんなこと感じられるのかどうかすらよくわからないけどね。

 

 

散文が書きたい訳ではないの。

でも、いい意味で”読まされる”文章がおおすぎて、

私は”読めない”文章でいいやって思ってしまう。

ブログやTwitterみたいな誰だかよくわからない人の「物語」

小説みたいな存在しない人の「物語」

物語にしてもらえたから存在が認められて多くの人に認められて

まるで存在していたかのように。でも、だから、死んじゃったんだよって私は昔書いていたなぁ

書かれなかったら死ぬことも生きることもない

 

右手を左肩にのせて、反対は腰に回して、枕に頭を強く押し当てて・・・

誰もお前のことなんか襲わないっつーの

自分が自分を喰らうだけ