温度感のある景色

自分のために書きます。

努力論者だった頃、自分の頑張りの分だけ自分が好きになれたし誰かが好きになってくれてた

 

理由は何にせよ「頑張った分がその人のご褒美」になるものばっかり。

 

お金が理由で働くこと、それは本当に簡単なのか

ならばそうしてしまいたい。

 

退去する元気がないから放置しているのでゴキブリがわいてくる

ゴキブリも無からわいてくる訳じゃないんだけどね

 

過ごしてきた季節は、その空気と社会的意義とそして関係者は、

かたどる私 その外側にあり、

堕落とか発狂の末に見える走馬灯のよう。

 

自分がどうなろうと勝手にすればいいけど、

自分が誰かの何かになるために努力していた以上誰かしらの目にはいっている訳で

誰かにとって大切なものを思い出したときの景色の一部として

どこかを担っているのかもしれないと思うと

その責任を放棄することは その誰かに貢献したかった私の放棄で

高いところから見下ろした家々に謝るだけでいいのだろうか

 

4月7日だって何があった訳でもないのに

ただただタイミングで

気持ちを測る単位が存在していなくてよかった

 

何かを求めているのだとすれば、

「魔法をかけてほしい」

 

夏は引きこもりを治すのに適してないな〜と思って見上げる透き通る青