温度感のある景色

自分のために書きます。

目を見開いて、針を熱を毒を、受け取れ

私は極論、何もせず立っていることによって価値を発揮したいので。

何か創造する人ではないので。

「表現するっぽい」

その表現は、何か成果物によって、人に影響を与えるのではなく、

私の表面から直接発信したいので。

 

言葉 に今までこだわってきたから、とても動揺するし、

心の知らない部分が疼く。

それは、すごく”いい感覚”だなと常々、これは今に始まったことでなく一昨年の春から思っているのですが、

この”知らない部分”こそ、「読解問題」であるので。

それこそ、成長を生むものだと私は思うので、

だから

いい んですけど!!!!!!!!

 いいものはいい んですけども!!!!!!

まあ、

 しんどいですわ!!!!!!!

 

 

誰かに頼ってみることが、山羊座の挑戦らしくて(しいたけが言ってた)

私にとってもそうなのですが、

私は私が乗り越えることを望んでいるし、私こそが力をつけたいので、

誰かに助けてもらうわけにはいかないし、助けてほしくもないんです。

 

 

とにかく、

私は極論立っているだけで、目の前に存在するだけでいい 何か表現 発信 をするんですわきっと。

 

だから 手段にとらわれず、成果物が出せなくても、大勢に影響を産めなくても いいんです。

いいんです。

いいんですよ。

 

 

というか

いい/わるい ではなく、 全ては満たされ、全ては ある のですからねえええ

 

 

創造や創作は、私がこうして健やかにいられるために多大な恩恵を恵んでくれて、

だからもちろん憧れと尊敬があります。

惹かれます。

でもそれは恋なので。紛れもなく憧れなので。

そこに垂直に向かうことが私の選択なのかなと今は思うわけです。

 

私は「本当」「本物」でありたいし、

と、書いたところで、

ああ人は分断によって自己防衛するのか

と世界の仕組みを自分にも見るわけですね

ああなんとも。 

 

 

とにかく落ち着いてほしい。

他人の人生を生きようとしないでほしい。

影響されることも、動揺があることも、それが私なのだから、あんまり困らず、味わえばいいのだ。

味わえばいいのだ。

判断するな。反応するな。

分断はある、そりゃ別の人間だからさ。

でも、私から「私は私よ」ってどこか他の領域を守備していることを高々と主張したところで、何にもならないからね?

そのあたりを履き違えてしまうから、

そのために、

他人が必要なのだよ。

 

待つのではなく、

でも、

時期を待とう。

 

 

 

ーーーーーーー

追記。

ああ 見ていたい

見ていたい 

(しんどそう)と思うのはどこか自分はその痛みを感じずに生きていける。なんなら無視できる人種だと自覚しているからだろうな。

でも、そうだよね。

私にはわからない。

私にはわからないから だから見るんだ。

知ることで少しでも彼女の世界での人権を得ようとするのだ。

無駄かもしれないけど。その好奇心が火傷の元なのだろうけど。

そもそも私は私がしたい言葉選びをしているだけなのに、いろいろ評価されてしまうように、

いろんなことが起こってしまう原因は私のなんなら無垢な好奇心と生まれた場所によって身につけた行動力で。

私は肯定も受容も愛しもしない気がする。ただ、忘れないでいるだけ。