温度感のある景色

自分のために書きます。

早くお風呂に入らないと

キラキラに一生憧れて恋い焦がれる。

でも

お化粧品のキラキラなら毎日だって纏えるの

幸せな女の子に生まれたものだわ

 

 

うまく言葉が出てこない

でも言葉でしか他人と繋がれない

 

 

大丈夫。

何人もの人が私にそう残して去って行った

その言葉の真意はなんとなくわかる

その人たちにできることがないのだ、あまりにも私が頑なに自分しか信じていないから。自分の決断以外に私を動かすものがないから。そのまま進む以外に選択肢がないのだ。

でもその、自ら選んだ、選択肢がないという選択肢に苦しめられている

 

私には何もない。今年何もしなかった。どこにも行けない。誰も私を求めない。

いやでも、涙を流した夜があった。新しい価値観に出会い、新しい友人ができた。自然が好きだって思うようになった。外を見に行きたい気持ちが生まれた。

だから生きてきてよかった。

 

 

「これをやりたい、成し遂げたい」がないのならどの組織にいたって、その組織じゃなきゃいけない決定的な理由が無いじゃん

そう言われた。

そうなのかも。

求めてくれたらどこでもいいのかも。

でも方向性はあるはずで、私が望む方向はどこだろう。

 

 

多分ちょっとずつ自分を許せるようになってきて、大丈夫って言ってくれた人たちを愛するうちに逃れられない自分を愛せるようになってきたと思う。

この先何をすれば自分を肯定できるのかもなんとなく見えてきた。

これから時代が、世界が、イコール価値観が、人の感情の動きが、変化していく中で、

日本の若者、あの苦しんでいた自分と同じような若者が、生まれるのかどうか私は確証がない。その彼ら彼女らに自分が何ができるのかもわからない

穴の空いたコップには、何を注いでも、すぐ空になってしまうから。

他者が、大人が、できることは「与える」ことじゃないから。

支える、とか、転換する、とか、そう言ったこと。パラダイムシフト。

 

ああ自分はあんなに信用していなかった、よくわからなかった、「大人」になりたがっているんだな今

 

ノートに綴る言葉、ツイッターに書きなぐる言葉、パソコンで紡ぐ言葉、

全部違う私が出てくるから困っちゃうな全くもう

 

去年流行ってた時には読みたくなかった「マチネの終わり」を読んで

本当に辛くて、

ああ理不尽が本当に嫌いなんだなと思った。

自分にはどうしようもないことが人生には起こるものなんだ、と分かりたくない。

全部自分が招いてきた、自分で決定してきた、と思いたい。この先も自分次第だと思いたい。

でもきっと違う。

他者が私の思い通りには動かない。愛した人に捨てられ、信用していた人に裏切られ、はめられ、蹴落とされ、先輩に見捨てられ、同志に切り捨てられ、地震が起こり、洪水が起こり、台風が、火事が、そして家族の死が、

望まなくたって急に上から降ってくる。

そんな時に

今の私なら何もできない。

でも、大人って、これからの私は、それでも自分の信じる方向に進まなきゃいけない。羅針盤を失ってはいけない。

ああなんて怖いんだろ

どうしようもない不安に今から襲われる

 

未来は不安のエネルギーを連れてくる、だから今の「ある」のエネルギーに恵まれてるの気持ちと繋がった方がいいって言われた。

そうなんだろうな

今は誰も死んでない。誰にも恨まれてない。妬まれてない はず

 

 

いろんなことを上手に「言語化」して人を説得しなきゃいけない

いつもやってる言葉遊びじゃなくて

そんな年始が近づいていて、

うまく話せる自分が見えなくて、怖いな

私に愛をくれる眼差し その人たちにとってはなんでもない視線から受け取る愛を 常に常に体温を伴って 隣に置いておけたらいいのに

なんて