温度感のある景色

自分のために書きます。

最後から2番目の天皇誕生日おめでとう私

ずっと書きたかった。でも書いてなかった。

なんか難しいなって思う。全部を整えるのって難しい

 

 

私の20歳の肖像

 

2017年

 

一番面白い3年生らしいこと、リーダーとか幹部とか、先輩っぽいこととか、そもそも組織とか、何にも関わらなかった。だから寂しかった思いもした。

夏はすごく退屈だった思いがある

でもなんか後半は楽しかったような、とにかく何かしたい!のエネルギーが溜まっていて。

そのエネルギーがどこかに掃けたら、生活が成り立たなくなっちゃうかもっていう怖さがあってあと少しが踏み出せなかったり。

新しい出会いが2月にあって、なんか新しいものを、今まで持たなかった感覚をたくさん感じたようにも思う。

もっと人と深く、絡み合って、輪郭を曖昧にしたかったな、そんな関わりが欲しかったなとか。

「私」はここまで って輪郭を保とうと努力するのって結構寂しい行為だと気付いたから。

 

お誕生日は人にとってはなんでもない1日で、じゃあ私にとってもそうかなとか、そうじゃないかな、とか。なんせこんな季節に生まれてきたから、特別感を出さなきゃ!って思わされているような。

去年も今年も一人だしなあ。。。ま、そういうものかな。

 

 

みんなにおめでとうって言って祝われて、みんなにありがとうって感謝する

 

クズな私もたくさんいるし、素直な私も、強気な私も、たくさんいる。全部自分で、自分でしかない。その嬉しさに気づけた20歳だったなあ

いっぱいあるなあって。満ちているんだなって感じられるようになった。

今の気持ちが、本当に自分から湧き出てきたものなのか、誰か別の人の声なのか、社会の声なのか、それを区別することによって生きやすくなったと思うとても。

ずっと世界がいっぱいあることのその膨大さが怖かったけど、ある世界は一つで、ただ見方が、世界観や自分の世界と認識する範囲が、人の数以上あるだけだった。

あなたも私も同じ瞬間一緒に生きている。

私の世界は私が決めたもので、いくらでも広く、いくらでも狭くできる。

何が良くて、何が悪い、それも私が決めたこと。決めてないとしたらなんとなく周りに流されて決まっていたもの。もっと選べる。

自由ってそういうことなんだ。

自分の感覚を大事にしながら、他者性を求めていく、そんなチャレンジをできたらいいな21歳

 

 

本当にいい天気!どこか行きたいどこに行こうか