温度感のある景色

自分のために書きます。

最後に己を支えるのは正しさなのか

うちの家族は正しさに囚われている

誰があなた方に正しさを許容したのか

正しくない人たちが先へ行くのを、美味しいところを持っていくのを、知っているはずなのに

それでも正しさしか彼らが縋るものはないみたいだ

正しさのために身を粉にしている

正しさであることだけが彼らの誇りでそれのためには自分の感情などどこかへ捨て去ってしまったみたいだ

 

私は知っていたそういう家族であること。

でも元凶は祖父で母は人の心を持っていると思っていたのに。

少なくともその正しさから幼い私の鮮やかさを守るために教育費をかけたのではなかったのか

貯金をはたいたのではなかったのか

 

私は知っていた

だから私だけは感性を広げていくこと

思いっきり声を上げること

やめなくていいと思っていた

 

まさか、

まさか、もういいでしょと言われるなんて思ってもみなかった

 

 

うちの母は昔から、大事なことを寝息をたてている私の横でまくしたてる

言葉の「圧」だけが私に残る

 

 

分からないことは恐怖?

割り切れないことは悪?

 

そう善悪の定規を持ち出している時点で私も正しさに囚われている

もっと純な「正しさ」があると思いたくて仕方がない

 

 

 

変われない

変わらない

代えられない

なんど泣きながら自分に言い聞かせた夜があったのか

私はすぐ忘れる

ちゃんと愛されていたと涙を流したことを

私はすぐ忘れる

周りに人がいたことひとりじゃないと感じられたことを

私はすぐ忘れる

 

何度でも思い出すためには、

心はちゃんと柔らかくしておかなくちゃいけない。

こんなことで、こんなところで、

泣きながら、ボロボロに傷つきながら守ってきた心を

手放すわけにはいかないんだ。

いかないんだ。

 

 

 

自分の頭だけで考えてきた結果が「正しさ」なんだよね

自分で責任を取ってきた結果が「正しさ」なんだよね

それすら揺らいでしまったら壊れてしまう崩れてしまう

知ってるよ

なぜだか私もそうなってしまっているからね

 

 

2016年4月7日の池袋病院を最近よく思い出すよ

あの日ちゃんと門限に帰ったよね

1週間毎日看護師さんが年配のおばちゃんで「きれいにできてる」って言ってくれてその言葉だけで生きてたね