温度感のある景色

自分のために書きます。

人ぞれぞれの回避術

「慰めること」に助けられてきたなと思うのです。

自分の悲しみよりも大きな悲しみを目にすると、自分の悲しみはどうでもよくなり目の前の大きな穴、冷たくなり固まりそうになっているそれに、なんとか温度を捧げないかと。なんとか抱きしめてあげられないかと思うのです。

そうしているうちに、自分からやっと目をそらすことができて、生きていける。

 

自分が一番自意識を拗らせ”メンヘラ”だった時、ツイッターにいた女の子。

3,11の時泣き叫んでくれた友達。

最近好きになって好きでい続けてる人たち。

彼女ら、彼ら、がいたから私はなんとか人の形を保っているのかもしれないとすら。

自分は何もできないのに「大丈夫大丈夫」「あったかいもの飲んであったかくして寝てね」なんて。その言葉を選べる自分に酔っている。

そしていつでもこちらを向いてほしいと思っている自分もどこかにはいる。私だって我慢している、を矜持として。

 

これは一人っ子の世界観なんじゃないかなんて思ったりする。

自分の感情が絶対だった世界が長くて、大人になることは平気なようにすることなんだと勘違いして育ってきたから。

これが兄弟がいたら「あなたも辛い、私だって辛い」となるのでしょうけど。

 

だから私の世界に誰か他の人がいることが、それだけで助けになるよ と言いたい。

みんな私に世界を見せてくれ。あなたのいるそこはどんななの?苦しくたって教えてほしい。それが私のためだから。

それくらい私は自分勝手だし自分ばっかり大事な人間です。

でも一人だけでは意味がない。何にも。