温度感のある景色

自分のために書きます。

この状況が楽しくなっちゃうんだもんなー

全部虚構であってもいいと思うのよ。

むしろ全部嘘で、全部夢であってほしいとさえ。

 

みんな頭ばっかり良くなってどこに行きたいのよ。

頭が良くなって褒められるのはせいぜい新卒の研修期間まででは?

みんな誰のために生きてるのよ。

(みんなと言いつつ何人かの顔しか思い浮かべてない)

 

 

 

自分と同じ人間っていなくて、共通言語って本当に手からこぼれ落ちてしまうもので、

本当に悔しく苦しく、でも、なんか、”諦めたくないのよね。”

「ああこういう人間なんだ」「伝わらないんだな」って思ってしまうことは簡単で、諦めて、期待せず。そういう関わり方を「気遣い」とする場面もあると思うし、必ずしもそれだけが人の賢さとも思わなくて。

 

何が言いたいかってもっと人に期待してもいいと思うんですよね

人って簡単に傷つくし、案外簡単に感情を捨てたり、もしくは死んだりすると思ってるんですけど

それでもそれを恐れて「気遣う」ことほど失礼なことって無いと思ってて。

 

こんな自分のスタンスをどうこう言われる筋合いもなく、

そもそも自分が人とどういう風に関わるのかを言語化している人なんてわずかしかおらず、

でもすごくモヤモヤしているのでここに置いておく。

 

本当に事実は小説より奇なり、って誰が言ったの?

まじで本当それなんだが?(キレ気味)

春の京都に行くのは一度でいいんじゃ!!!なぜ一回で用事を済ませられないの?一度1週間滞在すれば済む話だったのに!(多分違う)

というわけで、今年も、なぜか、二回めの春の京都へ。

三年連続春には京都に二回行かなきゃいけない。

なんでや本当にもう。

いや、不幸中の幸いは今度は目的が少し変わったことだよね。

ちょっとずつ人は変化する。

来年は社会人なんだからこんな無茶しないぞ。

安定したい。

 

 

背徳感が私を一番高まらせるのは事実。