温度感のある景色

自分のために書きます。

ただの反応反射でしかない言葉

なんでブログに残すのか

なんでツイートに残すのか

なんでインスタに残すのか

 

それは私の生きた証なのか?

そんなもんが生きた証なのか?

そんなものしか残せないのかな

残すことが正義なのかな?

何も残らなかったらいなかったことになってしまうの?

誰かの記憶に残る 人と人との間にのみ存在する それが人間なのか?

関係性の上にしかないのかな これって「分人」に近い考え方だね

 

私は「分人」の集まりが一人なら、わざわざ分人を認識する必要はないと思ってる。

いろんな色がその場所ごとに引き出されるけど、いろんな色を持っていることに変わりはない

 

 

残すことにそんなに意味を持たせてないっていうのが一番近いだろうね

消費消費消費

吐き出す吐き出す吐き出す

今日の天気は嫌い

友達とご飯してきた。

多分お互い「これでよかったのかな?」「こんなもんかな?」って思ってる。

 

友達に会おうよ!と声をかけて、予定に入れて、待ち合わせをする

その一連の流れで、それだけで満足しているわたしがいる。

わたしに時間を使ってくれる人がいるぞ。

わたしを友達と思ってくれてるぞこの人は。

 

かと言って「なんで会いたいって言ってくれたの?」

とか言われてしまうと、もう、「なんとなく」としか言えない。

割と期間が空いたから会ってくれそうだった?とか?会いたかったし?

 

人に会う「目的」 もっと言うなら時間とお金を使う「目的」

その意識が非常に薄い。

これは金銭感覚が影響してる気もする。

まだ自分の時間がお金になる感覚もイマイチない。

 

こんなことを平然と言うけれど、

これって人のことを軽視しているとも取れる発言で。

こういう類のことをわたしは平気でする。でもだってわかんないんだもん。

 

誰かの立場になることなんて本当にはできないし。

そう言って開き直って強がったところで心は傷ついている。なんでみんなはできるの?

 

話が逸れた。

人と会うときにどれだけ「目標設定」すべきなのか。

わたしは会う人に対して予想されていた価値を提供できているのか。する必要があるのか。

 

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これより先に話が広がらない。深まらない。

考える力が足りない、これを解くまでの語彙が文法が足りない。

最近ひどく自分の学力のなさを感じている。

足りない。

そしてこの先学力や知力が大きく育つとも思えない。なんてこった。

 

人との関わり方を、人は大概小学生までに学ぶと思っていて、わたしはその間に必死に学んだと思ってたけど、中学生かどこかで少し漏れがあったみたいで。

その漏れが少数の人をひどく逆なでるみたい。

でも琴線に触れてしまった一言について、わたしは全く意識をしていないことがほとんどで。

「悪気はなかったの」それだけで許されなければわたしはもうなすすべはないのだ。

だから、今わたしの周りにいてくれる人、この先いてくれる人たちに

わたしは「仕方ないなあ」と許されているんだろうなといつも思う。

許されて、愛されて、生かされている。

 

わたしは誰かのことを許せるのかな

愛された分、ちゃんと愛を返せているのかしら。

不安になるね。

ごめんなさい。ありがとう。

それで足りないなら、離れてもらって構わない。

悲しいけれど、ごめんなさい。そんなにあなたのために頑張れないわ

何もしなくても愛してくれちゃう人がいるんだもの

その人たちと深く関わってまた傷つけてしまったとしても

他の場所に逃げちゃうわ

バーバリーでベースメイクするのに12000円が必要だ

 

そういうこと。

 

バーバリーなんて働き始めてから使うくらいでいいのに。

それくらいしか今背伸びできることがないんだよね。

エネルギーを注ぐ場所がないこともしかりだけど、そもそも具体的なハードルがなかったり、具体的な競争相手がいないと、

自分を責める他なくなるから案外健康に悪そうだ。

 

 

昨日からバットはいってる

 

 

 

母親になるときに「怖い」と思わないといいな。

今のうちに死ぬほど苦しんでおこう

でもいつか解決するなんて、口では言いつつ、無理だと思っている。

30代40代の人が平気で「親との関係」についてお悩み相談する。

”平気で”というかその人の根本の歪みに親との関係があることが多い。

自分もそうにちがいない。

でも、

でも、

私は私のやり方を私が正当化することしかできないと思っている。

親に承認させるとか、分かってもらう(これは理解とは違う)なんて、

無理だと思っている。

というか、そんな辛いことあの人にさせられない。

その辛さは私の辛さであり、私が彼女の無意識のうちに背負わされてきたものであり、それ以上の、彼女の清算しきれない辛さだ。

夢、というのかはわからないけど、欲望?渇望?が満たされず人生が終わるところを私はこの目で見るだろう。

もっともっと と言い続けるだろう彼女は。

ああ涙が出てくる

私は私の分だけしか人生を生きられない

母親の苦しみまで背負うつもりはない。

これくらいどこかに書いたりしておかないと、油断していると、全部叶えてあげなくちゃ、応えなくっちゃって思うから。

誰から見ても立派なお嬢様を一人で育てた

という彼女の自信を育むための、私の人生ではないから。

私にはもっとやりたいことやれることがあるんだ。

 

でも、

ちゃんと誰から見てもわかる基準でも高い成績を納めるために、

そのために私は「経済」を「社会」を手放せない。

どこの馬の骨だかわかんないような人とは結ばれない。

私の人生だけど、私だけの人生じゃないから。彼女の子供としての人生でも我が家計の人間としての人生でもないけれど。私だけの人生ではないから。

 

 

中学に入ったときに誤解したんだ私は。

ああ私の自由で全て決められるんだ!って。

違うからな。

自由にした分だけ責任を、今の時代に合わないとか関係なく、果たさねばならない。

 

外でどれだけ、自分の自由さを語っても、

私には私の事情があって。それを全員にいうことなんて大人のやり方じゃなくて。

でも私は大人になれなくて、、、

 

一生懸命なのは当たり前、その上で必死に生きてるこの家の人たち

ありのままが一生懸命なんて、

認められない。

だから、どこかで帳尻合わせなきゃっていつも思ってる。

そしてそれはいつかできるだろうって思ってる。

甘い。

 

 

あ、私結婚したら、子供はうちの家の人じゃないのか

そうか

そうだよな

 

血縁ってなんだよ

職住分離したい

目を見開いて、針を熱を毒を、受け取れ

私は極論、何もせず立っていることによって価値を発揮したいので。

何か創造する人ではないので。

「表現するっぽい」

その表現は、何か成果物によって、人に影響を与えるのではなく、

私の表面から直接発信したいので。

 

言葉 に今までこだわってきたから、とても動揺するし、

心の知らない部分が疼く。

それは、すごく”いい感覚”だなと常々、これは今に始まったことでなく一昨年の春から思っているのですが、

この”知らない部分”こそ、「読解問題」であるので。

それこそ、成長を生むものだと私は思うので、

だから

いい んですけど!!!!!!!!

 いいものはいい んですけども!!!!!!

まあ、

 しんどいですわ!!!!!!!

 

 

誰かに頼ってみることが、山羊座の挑戦らしくて(しいたけが言ってた)

私にとってもそうなのですが、

私は私が乗り越えることを望んでいるし、私こそが力をつけたいので、

誰かに助けてもらうわけにはいかないし、助けてほしくもないんです。

 

 

とにかく、

私は極論立っているだけで、目の前に存在するだけでいい 何か表現 発信 をするんですわきっと。

 

だから 手段にとらわれず、成果物が出せなくても、大勢に影響を産めなくても いいんです。

いいんです。

いいんですよ。

 

 

というか

いい/わるい ではなく、 全ては満たされ、全ては ある のですからねえええ

 

 

創造や創作は、私がこうして健やかにいられるために多大な恩恵を恵んでくれて、

だからもちろん憧れと尊敬があります。

惹かれます。

でもそれは恋なので。紛れもなく憧れなので。

そこに垂直に向かうことが私の選択なのかなと今は思うわけです。

 

私は「本当」「本物」でありたいし、

と、書いたところで、

ああ人は分断によって自己防衛するのか

と世界の仕組みを自分にも見るわけですね

ああなんとも。 

 

 

とにかく落ち着いてほしい。

他人の人生を生きようとしないでほしい。

影響されることも、動揺があることも、それが私なのだから、あんまり困らず、味わえばいいのだ。

味わえばいいのだ。

判断するな。反応するな。

分断はある、そりゃ別の人間だからさ。

でも、私から「私は私よ」ってどこか他の領域を守備していることを高々と主張したところで、何にもならないからね?

そのあたりを履き違えてしまうから、

そのために、

他人が必要なのだよ。

 

待つのではなく、

でも、

時期を待とう。

 

 

 

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追記。

ああ 見ていたい

見ていたい 

(しんどそう)と思うのはどこか自分はその痛みを感じずに生きていける。なんなら無視できる人種だと自覚しているからだろうな。

でも、そうだよね。

私にはわからない。

私にはわからないから だから見るんだ。

知ることで少しでも彼女の世界での人権を得ようとするのだ。

無駄かもしれないけど。その好奇心が火傷の元なのだろうけど。

そもそも私は私がしたい言葉選びをしているだけなのに、いろいろ評価されてしまうように、

いろんなことが起こってしまう原因は私のなんなら無垢な好奇心と生まれた場所によって身につけた行動力で。

私は肯定も受容も愛しもしない気がする。ただ、忘れないでいるだけ。

ボールが戻ってきた

家についてカレンダーを見てふと、

「ボールが戻ってきた」感じがした。

ぽん って。

ぽふ って。

 

パスしていたつもりはなかったのだけれど、

気づいたら手元には無かった。

 

 

今日は私にとって年度末であり年始であったのだと思う。

あけましておめでとう。

この1年で「成長した」のかどうかはみんなが決めてくれること。

ただ、苦しみの終わりがきたなって感じ。

終わりにしていいよ。

 

選択はたくさんあって、どの道を選ぶかはわからなかった。

でも一人の人間である限り一直線にきた。

時系列のまっすぐさが、これほどの祝福を帯びたことは、

きっとはじめてね。

 

去年は何も見えなかった未来が、眩しく感じる今だよ。

 

感謝と祝福

 

 

ボールを持って何歩歩いていいことにしようかな・・・

でも時間制限はなくそう

またパスする日が来てもいいと思っている。

でも今は我慢してでも手元に置いておくべきだ。

このボールを取りに、誰か来てくれるといいな

 

未来を描く時、全然違う人間になっていたらなって思ってきた。

でも多分、そんなに変わらない。

それほどに抱きしめているものがあるから。諦めを無意識にした痛みがあるから。

心地いい場所にしかいないのかもしれないっていう不安に

負けないようにしたい。

だって私は私のままでどこにいくのか、そういう遠い旅をしているのだから。

ならば、

「すごい」と「すごい」を比べないで両方「ある」ってしようよ。

どちらも尊いんだ。

 

 

また前日にビラ詰めしたいな

しなくてもいいな

こうして未来に「期待」ではなく「余白」を持たせられるようになった

 

 

祝福と感謝

 

あけましておめでとう

ありがとう

 

 

 

私から私に最大のエールを送るよ

世界を変えた

だから歪みと余りと反動が来た

楽しんでいた

世界がまた元へ戻ってくる

私は「幸せだ」って思考した

そりゃ幸せだ。安心に近い。

世界の中に私はいなくなって世界が世界として生を持って動いていく

 

 

”あなたの愛は強迫だ”と言われた

そうなんだろう。

「こうであるべきだ」「こうあってほしい」

それが愛だ。

人に望むこと、それが愛だと。

 

 

私はもう「幸せだ」と思わずにはいられない。

考えずにはいられない。

感情の一つ一つを感じられていることを「幸せだと思わなければならない」

感じる何かに幸せというラベルをつけることが幸せであると。

 

 

私の感性なんて、誰かがいいと言ったものしか反応しない。

世界の誰かが良いと言ったものしか愛せない。

誰も何も言わない、気づかない美しさを、探すことはしない。見つけ出さない。

既存の美しさしか、感じられない。

素敵さと書いてあるものしか、素敵だと思えない。

仕方ない。

私は現実を生きる者なのだから。

 

 

湘南の書店生まれ、本女育ち。

それが私の幸せだと思った。

変えられない、変わらないものだけが、「私」であってくれる。

あのまま、絶対に勝てない彼女の隣で、甘んじていればよかった。

痛みに敏感にならず、アイデンティティなんて、自己同一性なんて、代替不可能なんて探さずに、あのままいればよかったんだ。

頑張って頑張って頑張って頑張る。その世界観でいつか報われる時を待っていればよかったんだ。

答えのない時代に、答えがあるかどうかなんて問うてはいけないのだ。

村上春樹に描かれる時を待っているわけにはいかなかったんだ。

 

ああ私はどうするのだろう

許されたような顔をして、どこへいくのだろう。そこに選択はあったのだろうか。

 

 

孤独なんて、私が選んではいけない言葉だと思っていた。

人に寂しさを見ても、それを埋める存在になり得るとまで思っていた。

こんな言葉遣いをするなんて、なんて寂しいのだろう。

 

 

がむしゃらになんてもうできない。着いていくだけなんてもうできない。

このうねった道を手放して楽な方に行くわけにはいかないんだ。

正解にするしかない。そんな愛、強迫。

 

京都は別に帰る場所なんかじゃない

私は東京で生きていく神奈川県民なんだから。

 

 

苦しさでさえも、味わってはいけないと。

誰かの言葉、彼女の彼の彼らの、全てを受け止めるなんてできるはずがないことを「やってしまえるだろう」と。

どこまでも大きな過信を持って

私は、

わたしは、

さとみは、

 

 

 

 

 

 

生きていればいい。

自分で死ななければ、

事実として死んでいたとしても、

戸籍が残っていれば、アカウントが生きていれば、

それでいい。

生きろよ。

死ぬなよ。

この本が文庫になる頃には私のこと忘れているでしょうね

その時はちゃんと思い出してくれるらしい。

記憶力いい人は大変だねえ

 

 

 

おとぎ話って言ったら言い過ぎだけど、

物語みたい!

事実は小説よりも奇なりってよく言ったものですね

 

「幸せな世界だ」

私は私の見たものだけが世界だから。

世界は社会より小さいから。

好きな人と好きな人が付き合っていることは幸せだ。

良い✖️良い は 良いに決まってる 。

 

今日、言葉づかいを褒められた時に”察し”ってなったの

言葉づかい言葉えらびを褒められることは一番嬉しいことなんだけど

ああこの人も私の見えない私を見ている と思って。

ああこれは失恋だわ 初めて 好きな人を好きじゃなくなる 出来事だって思った。

先に言わなかったから言い訳だけどね

 

 

 

 

 

 

 

 

寂しさというのか孤独というのか、そういうものを

全部自分のものだからって自分で持っておく人のことを私はずるいと思う。

いつそんな方法を覚えたの?

僕は普通ですみたいな顔すること、しんどい時もそれは自分の責任だってわかってしまうこと。

そりゃ痛みを無いことにするよりずっとずっといい。

でもそんな生き方ずるいじゃない

なんで傷付かないみたいなふりできるの 痛みに鈍感になれるの その麻酔は何が元なの?

 

 

あっっっっ 痛い。

痛い痛い痛い痛い 痛いよう誰か助けてよう なんで痛いんだろ 誰か・・・

 

 

どこが痛いかなんてわかりやしない。

でもだんだん、ほら、また、ここだよ。 またここか。

誰かにすぐ傷つけられたり、形を変えられたり、盗まれたり、なすりつけられたりする場所に

誰からもよく見える場所に、私のものだってわかるように、

置いておくのが私のチャレンジ。

 

 

いつか

誰かの分をもらってあげて、私の分もあげるんだ。

全部背負いやしないよ。少しずつおすそ分けだよ。

 

 

一人で持ってる人は強く見えるし、ずるいその哲学を、私が壊してやるんだから!って思う

間違ってることに気づけよ 私のルールに従えよ

って。

 

でも、まあ、大概、許してあげちゃうけどね

また私の何かが傷ついて変形するだけだから。

 

 

 

いい女ぶって、責めないし詰らないし、泣かないから

だから普通より長引いちゃうだろうね また。

 

 

それでもいいよ

さとみは愛されるべき女の子だし

ちゃんとヒールを履く女になるし

手首に消えない傷があるお子ちゃまだからね

 

 

 

私が好きになる女の子は必ずモテるし、私とは仲良くなれない。速度が速いから。

でも私の方が必ず若いから。

若いと何ができると思う?

その子がやりたがっている髪色にするね

きっとその子よりお金をかけて。

 

それで会いに行くからよろしく