温度感のある景色

自分のために書きます。

今日の天気は嫌い

友達とご飯してきた。

多分お互い「これでよかったのかな?」「こんなもんかな?」って思ってる。

 

友達に会おうよ!と声をかけて、予定に入れて、待ち合わせをする

その一連の流れで、それだけで満足しているわたしがいる。

わたしに時間を使ってくれる人がいるぞ。

わたしを友達と思ってくれてるぞこの人は。

 

かと言って「なんで会いたいって言ってくれたの?」

とか言われてしまうと、もう、「なんとなく」としか言えない。

割と期間が空いたから会ってくれそうだった?とか?会いたかったし?

 

人に会う「目的」 もっと言うなら時間とお金を使う「目的」

その意識が非常に薄い。

これは金銭感覚が影響してる気もする。

まだ自分の時間がお金になる感覚もイマイチない。

 

こんなことを平然と言うけれど、

これって人のことを軽視しているとも取れる発言で。

こういう類のことをわたしは平気でする。でもだってわかんないんだもん。

 

誰かの立場になることなんて本当にはできないし。

そう言って開き直って強がったところで心は傷ついている。なんでみんなはできるの?

 

話が逸れた。

人と会うときにどれだけ「目標設定」すべきなのか。

わたしは会う人に対して予想されていた価値を提供できているのか。する必要があるのか。

 

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これより先に話が広がらない。深まらない。

考える力が足りない、これを解くまでの語彙が文法が足りない。

最近ひどく自分の学力のなさを感じている。

足りない。

そしてこの先学力や知力が大きく育つとも思えない。なんてこった。

 

人との関わり方を、人は大概小学生までに学ぶと思っていて、わたしはその間に必死に学んだと思ってたけど、中学生かどこかで少し漏れがあったみたいで。

その漏れが少数の人をひどく逆なでるみたい。

でも琴線に触れてしまった一言について、わたしは全く意識をしていないことがほとんどで。

「悪気はなかったの」それだけで許されなければわたしはもうなすすべはないのだ。

だから、今わたしの周りにいてくれる人、この先いてくれる人たちに

わたしは「仕方ないなあ」と許されているんだろうなといつも思う。

許されて、愛されて、生かされている。

 

わたしは誰かのことを許せるのかな

愛された分、ちゃんと愛を返せているのかしら。

不安になるね。

ごめんなさい。ありがとう。

それで足りないなら、離れてもらって構わない。

悲しいけれど、ごめんなさい。そんなにあなたのために頑張れないわ

何もしなくても愛してくれちゃう人がいるんだもの

その人たちと深く関わってまた傷つけてしまったとしても

他の場所に逃げちゃうわ