新しいスカートを降ろしたから、ちょっと素敵になった気がした
頭の良さとか知識量関係なく、男の子ってすごいな〜って思った。
というか、女子同士で話していてそんな話題でないよなってことが話題にあがる。
そこまで深い関係性を同性と作っていないってことも、もしかしたらあるのかもしれないけれど、それだけの問題じゃないと思った。
かっこいいと思うもの、素敵だと感じるもの、
人はそれを「価値観」というのか。「感性」というのか。
本当に個人の問題ではあるのだが、セクシャリティってあるな〜と思った。
人と関わることは同時に自分を写す鏡であって、
自分の知識量とか見えている景色とか、その色合いが対等でないと
目の前の人としっかり話せない。その通り。
最近同じ温度感で人と話せてないのかなって思った。
いつも少しずれているから、ほわわ〜〜んってしちゃうんだよね。。。
ずれていたとしても、多くの新しい人と関わっていた時ってあってそのときには自分はどう写っていたのだろうか。
すこしの”ずれ”によって負荷がかかることを、生活する上で当たり前のことを、重く受け止めすぎたのかもしれない。
何にせよ、交友関係って自分にとっては大きな意味がある。
いいな〜って思える友達がまだいることに感謝だなと思ったし、
彼らが羽ばたく瞬間をちゃんと見届けるためにも、力を貸せるときがくるように、
頑張ってみないとなと思った。
小さな、ちっぽけな、どうでもいい人間だからこそ、紡ぎだせるもの一つ一つの価値が大きくて
それが他人にとってどうであれ、大切な自分のために守らないといけない。
私は2016年の7月にいたらしい
休学して、なにもせずただただお休みしたい。
お休みって何かすらよくわからない。
地方とか海外とか行ってしばらくそのままでいたい。
環境とかあんまり関係ない気がするけれど。
やりたいことは確かにあるような気がする。
純粋な好奇心、楽しそう〜って気持ち、それをやってる人への憧れ、いいなあって気持ち、かっこいいなあっていう眼差し、
かっこいい自分になれるかもしれないという希望、逃避、
人から認められる喜び、認めてほしいって気持ち、承認されたい気持ち、
自分は誰かから愛されるくらいの価値があるんだぞって気持ち、
価値がある人間でありたいという向上心に似た気持ち、等々
でも軟骨にピアスあけたのは
私はマジョリティから外れても生きていける
って思いたかっただけだなと思う。
ママ怒ってたよ(笑)
もともとの資質と、幼少期の教育と、経験してきた環境と、今ある刺激
やり直したくなんかない
後悔は今の自分が悔やむと起きてしまうことだから、悔やんだりしたら過去の自分がかわいそう。
未来はまだあるって気持ちが何よりも私の背中を包んでくれる気がする。
今描けるきらきらを一つずつ掴んでいこう。
内側のどろは少しずつ捨てていこう。
現状の因数分解
「選んだ選択肢を正しくしろ」って真理にちかい強い言葉。
でも
なにを選んで良いかわからない人にとっては刺さらないし、適応しないと思う。
「私はあなたにこれをやってほしい、それがあなたのためだと思う」
それが最大の主張で最大の根拠なら、「社会人」を名乗らないでほしい。
*
「一人一人かけがえのない存在」「誰にでも使命はある」
そう思う。
だからこそ、自分の人生を生きる責任がある。
かといって
このままでいいんだ、とか、自分には価値があるから自分の思うことも価値がある、とか ひとりひとり違うから人のことは気にしなくて良い、
とかは、半分合ってると思うけれど本質ではない。
はき違える人がとても多い。
そうやって自信満々に自分にだけ正しい方程式を振り回す人のお陰で
歪んで伝わっていく。少しずつずれていく。
同じ論理を、信念を、握っていくことって難しいんだろうな。
*
「いい」とされること。「正しい」こと。「本質」。「真理」。
それを全て選択したらその人は「完璧」なのかな?
その人の効用は最大化されているのかな?
*
頭が良くなる瞬間って他の誰かの頭の良さに触れて、自分が使わないようなコマンドとかショートカットキーとか公式を使っているのを見たときかもしれない。
*
哀しみのなかで私は言った
痛みに鈍感になることが大人になることじゃない
でも自分の中に色々積み重なって、何かを受け止める緩和材は増えるよ
*
最初に戻ろう。
私はいますごく困っているしよくない状況にある。
でもそんな中で他者に感情をかき乱されて、勢いで自分の決断をしなかったことをスタンディングオベーションで褒めたい。おめでとう。
*
一年前の夏、目に映っていた景色に言葉と色と写真できりとられたような美しさを感じていたときのように、
日々はもう少し楽しくなるはずなの。
世界はもっと鮮やかで、広大なはずなの。
確かに、この前期、パステルカラーの美しさを求めてきたのは確かだよ。
だけど、今この光景は、ただかすんでいるだけよ。被写体がないもの。
*
残念ながらガソリンは無いみたいだ。性能も変わってないみたい。コックピッドも使えないね。コースもみえなければ、カーナビも壊れてる。
さて、どうしようか
人間は一人にはなれない
何者にもならなくていい、と思えたらどんなに楽か
何も出来なくてもいい、と思えたらどんなに自由か
お前が何になるかなんて誰も期待してないよ、と言われても目指し続けるだろう
そのままでも十分だよ、と言われても反発するだろう
自分が、他の誰でもなく自分が、そう思えたら、見える世界は変わるだろう。
「まだ無理だった」そう言って許される期間があと半年あるのだとしたら、一度許されてもいいのではないか。
そう思ってしまうほど不安だ。
不安はどこかから、忍び寄ってくる。私の領域に足を踏み入れてくる。ぞわっとする。
どんな言葉も予想できる。だから予想もしない何かを求める。
予想もしない何かこそ「少し休めば」なんだと思う。
こんな弱気なことを思うのは大概弱っているときだと思っていた。
でも昨日グランドホスト控えめにいって失敗していないし、普通にこなせた。出来ると思っていたけれど、周りの反応は「予想以上」という褒め言葉ばかりで、嬉しい反面 あ、意外な一面を見せられたのか。と思った。
だから別に全然だめだめって訳じゃない。むしろもっとやりたいこともあって、いっぱいタスクという名の三文字の何かもあって、考えたいことがあって幸せなくらいだ。
それなのに
自信が無かったり、自己肯定ができないのは、自分を裏切り続けてしまうから。
期待している行動がとれなかった時の落胆が自分に対して沢山あるから。
そして、上手くいく自分が階段を昇る度に、だめな自分とのギャップは広がる。
とにかく、とにかく、今1ヶ月全てを許されてシャットダウンしたい。
大好きな接客も、イベントの準備も、授業も、友達のTwitterも、全て閉じてしまいたい。世界からいなくなりたい。
もとからいないようなものなのに、世界にいたいと思うから世界に登場できるのに、その権利を捨てたい。
おう、めっちゃ病んでる!
バイト先のフリーターの人のセクハラ発言をふと思い出してすっごい気分悪いwww
世界はすっごい楽しいと思うし、すっごい黒いと思うし、何もかも生きてるから感じられることです。
深夜は何時までか問題と東京のタクシー
2時は丑三つ時だし、3時から4時って大体速く過ぎるけど寝落ちの可能性が一番高くなる時間。
5時はもう朝だよねまだ寝てていいけど。でも5時半って大体起きなきゃってなるときじゃないだろうか。
日本人の平均起床時間は6時15とかだっけ?なんかすごい早く感じたのを覚えてるから6時半とかその辺りだと思う。
で、4時はどっち?
そしてタクシーの運転手さんってどういう仕組みになってるのかしら。
自由にそのエリアを巡っていていいのかな。
でも前に地元で、仲良し6人組をうちに泊めたときだからもう本当に随分と前だけど、そしてみんなの思い出にすごく残っているときだけど、
南口にある私の家に北口からタクシーで帰ろうと思ったら、「わかんない」って言われたんだよね普通に通じるはずの家の近くの病院の名前が。
だからエリアの指定はあると思うんだけど...でも東京なんて広くて狭くて広いしなあ
あとさ、たまに10円とかまけてくれる時あるし、
あと、どこから乗ったかメモしてる時あるし、
どんな仕組みなのかしら。
そして新卒のタクシー運転手って見たこと無いけどなんでなの?
リタイヤ後の職業ってほど年寄りでもないし、みんなベテランに見えるんだけど。
横の道、ほんとタクシーしか通ってない。すごいな。
ウーバーはやく乗ってみたいな。
そんなタクシーのお話しでした。
六月いっぴ
しばらく止まっていたイベントを動かすときがきました。
過去使っていたドライブをみて
昔はいいなあとどうしても思ってしまう。
羨んだらそこでおしまいな気もしたりしなかったり。
どちらにしろ、今fbをしてくれる人が少なくて、どんどん我流になっていってるなと。それは悪いこととは思わないけど、相対的なスキルは低下していく。
停滞は降下だと思う。
あとは、そういう意味でも
短期的にプロジェクトベースでやることより、組織に入って学ぶ必要があると感じる。
wantedlyに自己紹介を書いたら書くことが無さ過ぎてびっくりした。
でもそういうもんなんだと思う。
水曜日は昨日がハードだからかもうほんとにだめ。定休日。
金曜の午前もいつもそんな感じ。
必修の経済学、マクロもミクロも落としたらほんとに留年コースだよう。
その辺を考えないようにしてよしとするところも本当に好きじゃないし、でもコアな私の部分であると感じる。
これは愚痴だけど、入った時点で先輩が後輩のままだったから、私はどうしてもOBOGを求めてしまうのだと感じる。
先輩面をするのと、先輩であることは違う。
中学も高校もそして大学生になっても、いつになっても先輩を必要としているし私は先輩になりきれないままだな。
来年には先輩になれるのかしら。そのためにもプレーヤーで学べることがもっとあるはず。外に求めるものがあるはず。入れるべき知識が、思考のコマがあるはず。
どうしたものかなあで終わらないようにしたい。
納得のいくものにするためには過程がだいじだ。勉強しよう。お話ししよう。
とはいえ疲れちゃうからな〜〜〜〜
ママは教祖様
生まれて初めての宗教はきみです。
っていう歌詞があるけど、
多くの人にとってはじめての宗教は親なんじゃないのかな
私にとっての宗教は母である。と思った。
教祖がいたから、その教祖に従えないのならば別の教祖を探さなければならないと思っていた。感じに似ていると思う。
母という教祖のどこを信じて何を批判するか、私はそんな風にどんどん思想家になっていった。
もし親がふたり揃っていたら、そんなどうしようもない意味も無い仮定のはなしをすると(そして自分の特異性を無意識に主張してしまうと)
親同士夫婦でも喧嘩する。考え方が違う。だからふたつの色が混ざり合う。
母をみていた私にとっては、母を批判するおじいちゃんは敵。敵から攻撃される理由を見せてしまった私は守られ、またその隙があったことを叱られた。
真っ向から否定され、出て行けといわれ、出来る子賢い子可愛い子といわれ、だからもっとがんばれと。まるで躁鬱病のような言われようだとしか思えない。
でもそれが私の信じるべきものだった。
でも自分の中のナレーションの方が大きくなって、人に勝つという信条に従うために、教祖を変えなければと思った。
だから色んな人を100%信じようと努力した。
全て受け入れられる考え方を探った。
ほんとうは気づいていた。ありがちな話。
気づいてからもさ、なかなか上手くいかない訳ですよ。
この期間はきっと長いのだろうと覚悟したものの、
みんなには宗教があるように思うわけで。
もう何も信じられないような気がしてしまって。
疑心暗鬼になり、内に閉じこもりはじめたら、今度は自分の考えばかり正しいような気がしてきて。それがすごーーく嫌で。
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なんでこんなことを思ったのかというと
『知性だけが武器である』っていう本を今日手にとったんですね
知性だけが武器である / 白取 春彦【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア
(AmazonのURLにしないことがせめてものあがき)
もうね、「知性」って言葉に弱いんですよ。
表紙の色が白黒銀なのがいい。
こういうhowto本は今とりあえずいらない気持ちなのに買ってしまう。
「知性」「知的」その言葉はとても真で、とても綺麗に思える。強く思える。理想に思う。
「知性のある、美しい子になるように」と名付けられたとなんども聞いた。
この字が好きだと何度も聞いた。
生きることに意味があるのだと、その度に思うのだ。生きなければいけない、それを達成するため。
そしてね
私もきっと宗教をたちあげなければ、教祖にならなきゃと思っているのだなと思った。
誰もいないなら、自分のために自分は教祖にならなきゃと思っている気がする。
でもきっと違うんだろうなと。
揺らがない信仰をつくらなきゃ!と思うから苦しい。
そういうことじゃないんだろうな。
とりあえず何かをちゃんと素直にうけとること
受け入れても自分は崩れないと知ること
それが本当に分かるようになる経験がきっといつか訪れるはずでその時は今やっとの思いで保っている立ち方すら崩されてしまう
その経験を”取りに”行かなきゃ。
と今思いむずむずしてますってお話しでした。
最近、ふと真理が降ってくる瞬間がおおくて
そのときにちゃんと残しとかないとすぐ逃してしまう
なんかそういう時に使うTwitterをちゃんとほんとの意味でふぁぼってくれる人を集めないといけないなと思っています。
「意識くらい高いところに置かないと夢はみれない」