温度感のある景色

自分のために書きます。

ボールが戻ってきた

家についてカレンダーを見てふと、

「ボールが戻ってきた」感じがした。

ぽん って。

ぽふ って。

 

パスしていたつもりはなかったのだけれど、

気づいたら手元には無かった。

 

 

今日は私にとって年度末であり年始であったのだと思う。

あけましておめでとう。

この1年で「成長した」のかどうかはみんなが決めてくれること。

ただ、苦しみの終わりがきたなって感じ。

終わりにしていいよ。

 

選択はたくさんあって、どの道を選ぶかはわからなかった。

でも一人の人間である限り一直線にきた。

時系列のまっすぐさが、これほどの祝福を帯びたことは、

きっとはじめてね。

 

去年は何も見えなかった未来が、眩しく感じる今だよ。

 

感謝と祝福

 

 

ボールを持って何歩歩いていいことにしようかな・・・

でも時間制限はなくそう

またパスする日が来てもいいと思っている。

でも今は我慢してでも手元に置いておくべきだ。

このボールを取りに、誰か来てくれるといいな

 

未来を描く時、全然違う人間になっていたらなって思ってきた。

でも多分、そんなに変わらない。

それほどに抱きしめているものがあるから。諦めを無意識にした痛みがあるから。

心地いい場所にしかいないのかもしれないっていう不安に

負けないようにしたい。

だって私は私のままでどこにいくのか、そういう遠い旅をしているのだから。

ならば、

「すごい」と「すごい」を比べないで両方「ある」ってしようよ。

どちらも尊いんだ。

 

 

また前日にビラ詰めしたいな

しなくてもいいな

こうして未来に「期待」ではなく「余白」を持たせられるようになった

 

 

祝福と感謝

 

あけましておめでとう

ありがとう

 

 

 

私から私に最大のエールを送るよ

世界を変えた

だから歪みと余りと反動が来た

楽しんでいた

世界がまた元へ戻ってくる

私は「幸せだ」って思考した

そりゃ幸せだ。安心に近い。

世界の中に私はいなくなって世界が世界として生を持って動いていく

 

 

”あなたの愛は強迫だ”と言われた

そうなんだろう。

「こうであるべきだ」「こうあってほしい」

それが愛だ。

人に望むこと、それが愛だと。

 

 

私はもう「幸せだ」と思わずにはいられない。

考えずにはいられない。

感情の一つ一つを感じられていることを「幸せだと思わなければならない」

感じる何かに幸せというラベルをつけることが幸せであると。

 

 

私の感性なんて、誰かがいいと言ったものしか反応しない。

世界の誰かが良いと言ったものしか愛せない。

誰も何も言わない、気づかない美しさを、探すことはしない。見つけ出さない。

既存の美しさしか、感じられない。

素敵さと書いてあるものしか、素敵だと思えない。

仕方ない。

私は現実を生きる者なのだから。

 

 

湘南の書店生まれ、本女育ち。

それが私の幸せだと思った。

変えられない、変わらないものだけが、「私」であってくれる。

あのまま、絶対に勝てない彼女の隣で、甘んじていればよかった。

痛みに敏感にならず、アイデンティティなんて、自己同一性なんて、代替不可能なんて探さずに、あのままいればよかったんだ。

頑張って頑張って頑張って頑張る。その世界観でいつか報われる時を待っていればよかったんだ。

答えのない時代に、答えがあるかどうかなんて問うてはいけないのだ。

村上春樹に描かれる時を待っているわけにはいかなかったんだ。

 

ああ私はどうするのだろう

許されたような顔をして、どこへいくのだろう。そこに選択はあったのだろうか。

 

 

孤独なんて、私が選んではいけない言葉だと思っていた。

人に寂しさを見ても、それを埋める存在になり得るとまで思っていた。

こんな言葉遣いをするなんて、なんて寂しいのだろう。

 

 

がむしゃらになんてもうできない。着いていくだけなんてもうできない。

このうねった道を手放して楽な方に行くわけにはいかないんだ。

正解にするしかない。そんな愛、強迫。

 

京都は別に帰る場所なんかじゃない

私は東京で生きていく神奈川県民なんだから。

 

 

苦しさでさえも、味わってはいけないと。

誰かの言葉、彼女の彼の彼らの、全てを受け止めるなんてできるはずがないことを「やってしまえるだろう」と。

どこまでも大きな過信を持って

私は、

わたしは、

さとみは、

 

 

 

 

 

 

生きていればいい。

自分で死ななければ、

事実として死んでいたとしても、

戸籍が残っていれば、アカウントが生きていれば、

それでいい。

生きろよ。

死ぬなよ。

この本が文庫になる頃には私のこと忘れているでしょうね

その時はちゃんと思い出してくれるらしい。

記憶力いい人は大変だねえ

 

 

 

おとぎ話って言ったら言い過ぎだけど、

物語みたい!

事実は小説よりも奇なりってよく言ったものですね

 

「幸せな世界だ」

私は私の見たものだけが世界だから。

世界は社会より小さいから。

好きな人と好きな人が付き合っていることは幸せだ。

良い✖️良い は 良いに決まってる 。

 

今日、言葉づかいを褒められた時に”察し”ってなったの

言葉づかい言葉えらびを褒められることは一番嬉しいことなんだけど

ああこの人も私の見えない私を見ている と思って。

ああこれは失恋だわ 初めて 好きな人を好きじゃなくなる 出来事だって思った。

先に言わなかったから言い訳だけどね

 

 

 

 

 

 

 

 

寂しさというのか孤独というのか、そういうものを

全部自分のものだからって自分で持っておく人のことを私はずるいと思う。

いつそんな方法を覚えたの?

僕は普通ですみたいな顔すること、しんどい時もそれは自分の責任だってわかってしまうこと。

そりゃ痛みを無いことにするよりずっとずっといい。

でもそんな生き方ずるいじゃない

なんで傷付かないみたいなふりできるの 痛みに鈍感になれるの その麻酔は何が元なの?

 

 

あっっっっ 痛い。

痛い痛い痛い痛い 痛いよう誰か助けてよう なんで痛いんだろ 誰か・・・

 

 

どこが痛いかなんてわかりやしない。

でもだんだん、ほら、また、ここだよ。 またここか。

誰かにすぐ傷つけられたり、形を変えられたり、盗まれたり、なすりつけられたりする場所に

誰からもよく見える場所に、私のものだってわかるように、

置いておくのが私のチャレンジ。

 

 

いつか

誰かの分をもらってあげて、私の分もあげるんだ。

全部背負いやしないよ。少しずつおすそ分けだよ。

 

 

一人で持ってる人は強く見えるし、ずるいその哲学を、私が壊してやるんだから!って思う

間違ってることに気づけよ 私のルールに従えよ

って。

 

でも、まあ、大概、許してあげちゃうけどね

また私の何かが傷ついて変形するだけだから。

 

 

 

いい女ぶって、責めないし詰らないし、泣かないから

だから普通より長引いちゃうだろうね また。

 

 

それでもいいよ

さとみは愛されるべき女の子だし

ちゃんとヒールを履く女になるし

手首に消えない傷があるお子ちゃまだからね

 

 

 

私が好きになる女の子は必ずモテるし、私とは仲良くなれない。速度が速いから。

でも私の方が必ず若いから。

若いと何ができると思う?

その子がやりたがっている髪色にするね

きっとその子よりお金をかけて。

 

それで会いに行くからよろしく

 

全部分かろうとしなくていい。

「でもほんとうに起こっていることをみんな、きみが見なくてはならないというわけじゃないんだ」

 

自分の見たもの聞いたもの感じたものを、全て誰かに共有する必要なんてどこにもありやしない。それは知っていたのだけれど

社会で生きていく上では、部分的にであるにしろ、他人の目から見て、道理を持って生きているように見えなければならない場面がたくさんある。のであるからには、なるべく多くの他人からなるべく多くの私に起こった出来事について分かってもらいたいという気持ちは根強くあるのです。

 

最近京都に行っていて、とても良き体験をしたこと であったり、

この2年間の学生生活でいろんな苦労と努力をしたこと であったり、

自分が正しく日本語を操っているように感じる時の誇らしさ であったり、

欠点しか説明できないうちの家庭にある幸福 であったり、は

ちゃんとここにあるのだけれど、

でも外に出そうという気持ちを持って、外に出さなければ、

なかなか受け取ってもらえないのだなあと思って。

そんな当たり前のことに、悲しみを覚えているわけではなく、そうなのかあと感じているのです。

 

元来おしゃべりであるし、ツイッター大好き人間であるし、

どんな些細なことでも人に知って欲しいという気持ちが強い私ではあるけれど、

些細なことを上手に話すことに注力しているうちに、

日々の気づきの中で少しずつ確かに紡がれている”生活”のような「もの」を

自分でも手放しそうになっていたりしていて。

その「もの」がある事実をあんまり知りたくなかったりもしていて。

(だって可愛くもなく綺麗でもなかったらどうするの!) 

 

自分の思っている以上に伝わってないことってあるんだなあと最近びっくりしたのでした!

 

そして「伝わっていない」ことが「なかったこと」になってしまうということに、

私は誰よりも敏感になっていたはずであったのに、と

想定通りにいっていないことに少なからず動揺があります。

 

そういうことがあると、人との距離感をいつも以上に計りかねるけれど、

過去の自分がコトバを持って主張していたことが役に立って、私の喜びになり助けになってくれました。

 

この1年を私はどうやって「伝える」ことができるのか、「伝えない」努力をするのか、それはわからないけれど

散々好きじゃないと強情になっている実家の、私の部屋のベッドの上で、ただ”守られている””護っている”時間のことは今はまだ「事」にすらなっていないみたい。

でもそういう忘れてしまうような時間のことを

失くさずに持っていられることが何より私の望んでいる将来の姿なのかもしれません。

 

さとみは見た目をふわふわさせることって大事だと思っているし、

違和感を人にそのままぶつける方法しかまだ知らない、

美味しいものを前にしたときみたいな感覚だけが自分の原動力であるような人間です。

好きなときはワクワクしている人たちを見ているときと、

背筋を伸ばして鼻歌歌いながら歩くまたはスキップすることとか

幼い気持ちでいられるとき。

好きなおしごとは、混沌したテーマの会議を整理することと、

日本語の構成をしたり、誰かの代弁をする文章を作ること。

そう!それが言いたかった!私じゃなくて私が手がけたものに対する(素敵な)(できればポジティブな)評価をされたい時期にきたのかな!って。

 

11ヶ月くらいかかったけどやっとまた春を迎えることができそうです。

でもまだ一度も一人で越えたことのない春に

緊張している最近です。

 

 

 

スペックの高い人になってみたい

タイトルまま。

 

私の好きな人と私の好きな人の気があっていて、

「ああ私の好きになる人は間違ってなかった」

と思った。

 

世界観が好きな人に対して、私ができることはなくて、

私の好きな世界観の中の少しに私がいられるなら幸せ。

だから大体「好きな人のことは見てたい」ってなる。

 

でも、なんだろう。

最近好きな人に対してしつこい私がいる。

私は”好きな世界”の中でだけ生きられたら、私の世界は破綻していてもいいのではないかみたいな。

むしろ私の実際生きてる世界の全貌とか未来とか無いのかなみたいな。

幻想に生きていたいみたいな?

 

中二病みたいになってきた。 

タイトルの話に戻ってみよう。

 

世の中いろんな人がいるみたいだ。

私は考えていることをアクセス数2くらいのこのブログにしか出せなくなってきた。

私を褒めてくれる人にしか、というか私が見下した人にしか私の考えを整理して話してない気がする。

 

落語家の言葉で「自分と同じくらいのうまさだなと思う人は、実はうんとレベルが高い人」みたいな話があるけど本当にそうで。

母の妹に会うたびに

「ああ私はただただプライドが高いだけなんだな〜」

と実感する最近。

 

ちゃんと大人に言わなきゃな。

聞いてもらって、

早いうちに砕け散った方が

せっかくの大学生活だし。

 

あーこっっわ。

 

どこへ行くのかな楽しみ ってみんな言うだけ言う

お世辞を真に受けてる。

まだ2年でしょ楽しみだね って。

私は全然楽しみじゃない。もう内定くれるところがあるならそこに捧ぐよ。

そこでてっぺん取れるようにだけ頑張るのに。

 

 

どこか他の場所に行けば、信じられる大人に出会えるんじゃないかという幻想に取り憑かれている。

 

インターン応募しなければという病気や!

 

自分にできることは限られている。

自分はそんなにタフではない。

この二つは腹落ちというか、身体に刻まれているのだが。

それでも・・・

 

一瞬愚痴を書いておく?

彼氏のpjに一緒に来るって私には絶対むりだわ。

絶対意識しちゃう。完全な参加者にはなれない。

世の中いろんなパートナーシップがあるよね。

終わり

 

 

結婚式のキャストやるって決めたんだけどさ。

それだけじゃダメじゃん?って言ってる自分がいるみたいで。

なんなんだろね

誰でもいいから私のことを見初めて鍛えて立派な女にしてよって。

人に頼ってる時点でだめなんだろうけど。

 

唯一無二の私を愛してよ

 

閑話休題

 

中一の時に内部生の目の大きな態度がでかいあの子が

「あー病むわー」

って言ったのが私が聞いた”病む”の最初。

 

病む?悩むとは違うの? ってなってたショートカット前髪なしの私。

 

ファッションメンヘラにインターネットは格好のちょこれいと💖

 

中1の春が最初。

次がいつかな

 

学校にどうしても行きたくない日には、とりあえず家を出て藤沢のスタバに寄ったりして、2時間目の終わりくらいに保健室からの相談室に行く

そんなのを覚えたのは高校1年の冬かな

音楽会委員なのに学校に来ないってツイッターで悪口書かれて

その幼さに私の友達が怒って

いやー悲惨だったなーーー

 

信じられないくらいたくさん嫌なこと、トラウマなことが起こった高校3年間だった。

最後まですっきりはしなかった

あんなに毎日メールして電話して泣いて慰めあってハグし合ってた親友とぱったり距離ができてしまって。

それが私の人との距離感がわからなくなったきっかけだったかなあなんて。

 

あの頃はアメブロだったね

アメ限にして病んだ記事を書いたり、わざと行間を空けたりするのが流行ってた。

アメ限にしても他の友達がみせてくる。噂好きは女の性だよね。

 

で、なんの話だっけ。

 

そう、

なんかさ、みんなホームがある っていう謎の感覚があって。

それが私のエネルギーの一部であったことは間違い無いんだけど、

そろそろ限界だよねっていう。

 

なんか気づかないようにしてたみたいで。

ふと、人からの発言で気付いてしまった。

「寂しい」

とか滅多に人の口から聞かなかったから。

私の寂しいエピソードが溢れてしまって、その沼に溺れています。

 

大好きな友達はいるし、多くなくていいと思ってはいるの。

でも、例えばfacebookに投稿して誰がいいねしてくれて拡散してくれてコメントくれるのかな とか

すごく仲が良くても同じ温度感って思えなくて自分から距離を取ってたりとか

逆に話したくてもなかなか私のために時間を割いてもらえなかったり

高校の友達だって大学に来ない上にプライドだけ高くなってく私にどう接したらいいのかわからないだろうし、

私も話せる部分話せない部分が人によってあって

大事にして一緒に歩んで行きたいからこそ醜いところは見せたくなかったりさ。

いつの間にか次のフェーズに行っちゃって置いてかれた気分になることばっかりだし。

 

人間関係のgive&takeを、誰より私が気にしてるのかな。

その上男女の恋愛とか、意味わからなすぎる!めんど!

 

友人関係に恋愛持ち込みたくないから社会人とつきあいたいんだよね笑

戦うのも嫌だし。同じフェーズにいる人は敵

え?じゃあ結局私がちゃんと友達でいられてできるなら親友になれる人はさ、同じ段階だけど違う世界じゃないといけなくて、かつ私の世界も分かってくれる人ってこと?

他人に何を求めてんの

 

器用じゃないから会った時に条件立てて人を見れるわけじゃないのにさ

 

 

キャリアとか抜きに付き合っていく高校までの女友達

暮らしのランクがこれから変わって行っちゃうのかなとか不安になる。自分で稼ぐのと誰と結婚するかとかでわかるようになっちゃうのかな。

でも私から切らなければ、みんなちゃんとさとみを認識してくれてると思うよ。

でもあの子達に、今の私のあれこれをぶつけられないのはさ、高校の時の「外で絶対やってやる」っていう気持ちだよねきっと。高校生活で全部やりきってればこんなことにはならなかったと思ってる。でも実力と精神力が足りなかったんだよ。仕方ない。親からの支援がなかったっていうせいにしてもいいと思ってるよ。仕方ない。

 

 今が大事だよ

春休みになったのにこんなので3年生心配しかない。

新しさをエネルギーにできてない気がする。

 

きっと、誰にでも全部話すことってできると思うの。

なんか私publicな面が広いんだ。

でも、本当に頼れるかどうかは別の問題で。

頼ったって、その人のホームはどこか別にあるわけでしょ。

じゃあ私はどうしたらいいんだろ。この脂肪だけはついた二本脚で立たなきゃいけないんだよ。つら。

 

 

日々辛い。

でも、自分の力で太陽の下に出ないと。

外身だけでも整えて、それをまず受け入れてくれる人を見つけて、その上で確固たる結果を残して、それで初めて立てる。

どんな分野でも突き抜けたら別の分野の突き抜けた似た感覚の持ち主に出会えるってさ。

 

 

自分が代替可能であることが嫌で、人と違うことしなきゃって思ってたはずなのに、

今自分と同じ人がいないことに絶望してる。

おかしいね

 

 

 

嘲笑もの

自分のように生きるべきだ

という人は別に自分を許してはいなくて。

 

許されたように生きる人って

大抵何も持っていないふりをする

普通に生きるすべを持っているのに。

 

負けてるのにそれを出したくなくて

私の心は削られて、そこに勝者の影が残る。

勝つ人はいつも私に影響を与えて、

でもその影響の反響をだいたい受け取っていて

でも痛くないのかな?

本当のところは私にはわからない。私が負けたことは伝わっているのに

そんなの不公平だ

 

不公平の上に成り立つ平等や

平等のない平穏を必死に守る主婦の姿が

神には

神はきっと男で

そいつには見えていて

それが性癖なのだろう。

 

 

なんども夢を見る。

おでこの斜め前に浮かぶその景色は、後ろの現実が透けてさえいるものの、だいたい本物みたい

最後の二言目から現実が始まって、最後の一言で目をつぶっていたことを認識して

そして眼が覚めるんだけど、しばらくその夢に浸る

iphoneを手にとって通知が来ていないことにがっかりし

一連のSNSをチェックしてから

夢のことを考える

デジャビュもあれば、昨日考えていたことの続きであったりする。

 

 

 

 

誰かになりたいなんて思うなら、

その誰かになったつもりになって言葉に残してしまえばいい。

 

 

春樹かぶれになると滝沢カレンみたいな言葉遊びになるね。

嘲笑もの