温度感のある景色

自分のために書きます。

結果にプロダクトする

犬と猫を飼っている

 

猫は気まぐれに出てゆく

犬はいつも私を出迎えてくれる

 

犬と猫はいつか死んでしまう

 

猫は数日消えたのちに無傷で帰ってきた

犬は病気になり入院し死んだ

 

犬と猫は一緒に寝ていることがあった

その光景は私の平和の象徴だった

 

おわり

 

題名は好きな人から送られてきたボイスメッセージです。

破滅を感じるwww

生意気であること

自分って生意気なんだろうなって思った。

どこまで行けるかなんて考えてないけど、

どんな人に対しても自分はその場では対等であると芯から信じてるのかなと思った。

 

彼ら彼女に対して対等な視点から問いを立てられるとして、

私はその人らに何を問えるのか、問わせられるのか、は考えていかないといけない。

 

生きてる意味なんて何にもないと思っているのと同時に、自分は尊厳ある人間になるべきだと思っている

 

危険思想みたいだ。

でも、生意気であることが私の最後の砦なのかもしれない

 

つぶやき。

バーガンディのリップが似合う人

毎晩化粧水と乳液と美容液。クリームで全身をマッサージ。

週に2度、ボディスクラブ。

フレッシュフェイスマスクも週に2回。

2週目の土曜日は早く帰ってきて半身浴。

4週目の日曜日の午前は岩盤浴

月に一度ネイルサロン120分。脱毛サロンも同じ日に。

2ヶ月に1度カラーとトリートメント。

 

毎日のように送られてくるDMやinstagramをチェックして、

月に1度は一人で買い物。

クラブイベントのお誘いをスケジュールに入れて、DJをチェック。

女子会の予定を立てて、お店を予約して、

デートの前日にサロンの予約を入れなくちゃ。

 

作り置きのおかずは、野菜中心のヘルシーメニュー

外食続きにならないように、下ごしらえだけした具材を冷凍。

 

 

誰のための身体で、

誰のための私であったのか。

自分を満たすことへの義務感。

もう贅沢かどうかなんてわからない。

ただ、胸を張って歩くための、

ルーティーン。

 

原宿や表参道が楽しくて仕方なかった中学生。

銀座はまだ早いと思っていた大学生。

 

もてなすこと、もてなされること。

使う人、使われる人。

 

一度味わえば、もう戻れない。

そんな一食のために日々努力するのよ。

 

温もりって、愛って、涙が流れるような夜ってなんだっけ

 

 

夢を叶えなければならない私たち

今年もおしまい。
23日にはたちになりました!いい響き。はたち!
ここまでの日々は畑を耕すような日々だったのだろうなと思っています。
少しずつ蒔いてきた種やこれから買う球根を植えて、芽を出し花を咲かせるのがこれからの10年だと思っています。
 
そもそもの畑の位置や大きさは、もう決められているようにしか思えないのです。決まってしまっていたのです。
その畑の性質や気候やなんとかに、愚痴をこぼし、嘆いていたような1年でもありました。
「立派な畑」というものが欲しければ今のこの地は満足できるものではありません。引っ越した方がいいかもしれない。
でもこれが私なのです。この乾きやすい土や安定しない日当たりは、これから変えられるものではなく、私の当たり前そのものなのです。
 
「あなた」と私が同じ人間で、でも全く違うということにいつ気がついたのかはわかりませんが、その気づきから得られた重力が私を立たせています。
夢の叶え方を知ってしまった私たちは、
そのままその工程を追っていくだけで、(簡単にとは言いませんが)夢を叶えられるのでしょう。
その達成感はきっと自分を幸せにするでしょう。
でも、どうしてもわたしには、それではだめな気がしてしまうのです。
その、何がどうだめであろうと、何がどうあろうと
20代という若さは、外向きに使わなければならないだろう。私はそう思っています。
だから何がどうだめなのか、あなたと、みんなと、考えてもらえる時間は少ないです。
その先は、
社会のため が何を指すのかはわからないけれど、
社会的に、自分ではない人と自分ではないことのために、自分の手には収まらないところ目指して、自分に出来ることをして行くのだと思います。
その先で花を咲かせる過程が、畑の一番美しい時期を教えてくれるだろうと思います。
そういった、こういった、一人でいるときに浮かんでいるあれこれを、もう少し、私の外側に出すことができたなら世界がまた違って見えるはず。
枠組みに充填するやり方ではなく、たとえ形になっていなくとも、外側に出す努力を意識的にしていくこれからの1年にしたいです。

 

 

あと1か月

興味関心・強み・価値観

3つの軸があるよ、所属を決めるときに。

 

面接でこう言われた。

私の場合は、興味関心と強みが反しているのかなと思った。

関心のある物事や興味のある人と話すときに「自分薄っぺらいな」と感じてしまうことが多くて。

例えばリーダー層の人たちと話していて、自分知識も”本物の”経験してないなと思う。

好きな、気になる本とかも、あんまり読めていないというか。

多分私「学問」ってすきじゃない。応用パターンから自分の公式が出せればいい。

でも公式を作ろうと思っているから辛いのであって、先人に学ぶってことができるようになるともしかしたら楽なのかなあ。

 

人に素直に向き合う、人のよりよいbeingにコミットする っていう軸と

対話する という軸にコミットするか

というと私は後者で。

だからこの半年くらい50%くらいしか思った事をやれてない。

 

これをやるべくして生まれてきた。みたいな人を見れば見るほど

自分はなんのために生きているのかと疑問に思う。

しかも「そんなことないよ」って言われることを夢見て、母に泣きわめいてみたりして「じゃあ死ぬしかないよ」と言われた。

「責任」というものは自分の家としてのこととしてあって、出生したということに少し意味があるなと感じています。

でも、気づいたからといって、それを果たせるかは別の話。

何のために生きてるのか、と言いつつスターバックスはすごく好きでやめたくなかったりするし、休日はひたすらに寝ないと無理だったりするし。

 

なにがいいたいのか

と無意識のうちにうっていた。

 

なんだろうね

専門分野を見つけることが先か、ゴールを見据えるのが先か、歩み方生き方を決めるのが先か、仲間を見つけるのが先か。

鶏と卵てきな側面もあるだろうけど、そうでない部分を見極めていきたいと思うのです。そして選択をしたい。

就活を少しずつ意識しだしていて、1年後には迷っていたくないから。

かといってもっと自由に生きたいと思ったりもしているし。春は短期留学というか旅行したいし。

自分が出した成果でしか認められないという観念から抜け出すためには人の力を借りるしかない と思っている観念がすごく嫌いなんですけど割とその解しか見つかっていない現状もあり。

人との関わりを欲している自分。

 

他人のことを大切に、尊重すべき対象として捉えていない。

自分に親切にしてくれる人のことも、何度も裏切って試さずにはいられない。

極力少ない人数の社会の方が本当は良いと思うこともある。

でも、

でも、

自分が生きていくためには、

私が生きていてもいいということを思っている人たちと一緒にいないといけない。それが組織。

自分が他人にとって、より多くの人にとって役に立つアウトプットができることが一番いいけれど、そんなことは無理だと分かってきた。

組織を続けるために、と模索できるのは、組織って積み重ねが大事だと思うからで、むしろ積み重ね以外に意味はないとすら思っているのが今の所属。

そこで「やりきる」ってなんなんだろう。

輝かしい結果は出ないと思っているし、輝かしい結果は今の事業の正解ではないし。でも確かに何か持ち帰らなければ、なんのために消費しているのか。

 

スタバだけやってるのが一番コスパ良いと思うよほんとうに。

さとみにはインターンとか向いてないと思う。

血迷って団体立ち上げとかしないように気をつけたいわ。

 

 

「悩んでいる その状態に安心している」

というのは私の常です。

 

でも、

自分自身が許せない揺らぎ、以外の部分になにか、何かあるのかな

と思っている。という近況でした。

 

なにかあるかなと思っています。地球にとってのメリットが。

 

 

一服中

 

瞳をみつめて、なにも感じられなかったときの、かなしみ

けむりが消えていく、自分の肺は満たされる、捨てられる灰

 

 

人を信じられない理由がわかった

私が裏切りつづけているから。

どんなことをしても、許してもらえるかどうか、愛してもらえるかどうか

試している

 

「遅刻して悪いと思わないの?」

 

ん〜

「 だってしてしまった時はもう切り替えるしかないし

相手の方が怒っているのに自分が悲しんでても仕方ないし 」

 

 

タレントの仕事は自分を研究しつくすこと。

可愛く見せる努力をすること。

 

求められたことをこなすのは当たり前

まずはそのクオリティを上げること、

その上でもっとやってほしいことはなんなのか、先回りすること。

 

裏方を学ぶのは裏方の気持ちを分かる出役になるためらしいよ。

 

 

「互いに認め合い、尊重し合う。強みをいかして働く」文化

920円の人と同じ仕事をしていてはだめ。

仕事をした上で、互いにフィードバックできるか

もっと良い場所にするために考える。

 

貢献度が見えやすい。

 

 

 上手くいかないことなんて山ほどあるんだけど、

それでも生きていける力をもうすこし。

 

 

努力論者だった頃、自分の頑張りの分だけ自分が好きになれたし誰かが好きになってくれてた

 

理由は何にせよ「頑張った分がその人のご褒美」になるものばっかり。

 

お金が理由で働くこと、それは本当に簡単なのか

ならばそうしてしまいたい。

 

退去する元気がないから放置しているのでゴキブリがわいてくる

ゴキブリも無からわいてくる訳じゃないんだけどね

 

過ごしてきた季節は、その空気と社会的意義とそして関係者は、

かたどる私 その外側にあり、

堕落とか発狂の末に見える走馬灯のよう。

 

自分がどうなろうと勝手にすればいいけど、

自分が誰かの何かになるために努力していた以上誰かしらの目にはいっている訳で

誰かにとって大切なものを思い出したときの景色の一部として

どこかを担っているのかもしれないと思うと

その責任を放棄することは その誰かに貢献したかった私の放棄で

高いところから見下ろした家々に謝るだけでいいのだろうか

 

4月7日だって何があった訳でもないのに

ただただタイミングで

気持ちを測る単位が存在していなくてよかった

 

何かを求めているのだとすれば、

「魔法をかけてほしい」

 

夏は引きこもりを治すのに適してないな〜と思って見上げる透き通る青