温度感のある景色

自分のために書きます。

入れ子になった毎日が

日常に物語があってほしかった。

目の前に起きていることをナレーションして、架空の登場人物を動かして、起きているんだけど夢を操作するように、現実とは違う物語をいくつも生成してきた。

だから、高校の始業時間を守らずに空いた電車に座って本を読むのは良かったし、スターバックスに行って明日までの課題をやるのだって良かった。

どれも私の日常っぽくなかったから良かった。

私は学校生活概ね楽しかったし、大きくいじめられたことも無くて、クラスである程度発言するキャラを持って、成人式も楽しかった。

それだから良かった。

 

日々くるラインの通知のほとんどが公式アカウントで、ニッセンをブロックしないのは「しろたさんなの〜」で始まるのに癒されるから。

一週間誰とも話さないのはざらで、でもストーリーを見てるからみんなが何してるかはわかる。時々羨ましくていいねばかり押す。

そんな生活において、大学を休むことも、マックブックをスタバで広げることも、インスタで調べたお店に行き、ツイキャスで見知らぬ人の雑談を聞くことも、

日常になってしまった。

なんで私は「大学生」をやっていないのか。

「大学生」をやりながらにして「こちら側」に来るべきだったのに。

次なる物語はこの日常をフォトジェニックに「生活」っぽくみせなければならない。

この汚い自室を「生活」っぽく?一時間半の通学時間をフォトジェニックに?

無理がある。無理があるよ。

 

私あの高校生活でどんなに望んでも倒れられなかったんだから、二日間何も課せられず眠ることができれば元気になれる。でも元気に起きた朝に、やることがないんだな。私のため以外にやることがないんだ。

そうするとね、人間ってだめになるんだと。

自分を守るためにとってきたいくつかの行動が、人と関わることから自分を遠ざけて、自分自身の喜びがどこにも無くなった。

 

昨日と今日と夢でなんか説教されたり説教したりした。

見知らぬ偉い人がそれっぽい正しいっぽいことを言っていた。

この思想は私のどこにいたんだろう?と思って目を開けたらなんて言われたか忘れた。

好きな人の存在感だけが隣にあってでもどこにも逃げないからどうにも転べない関係だねって。

なんで起きて幻影にありがとうと心を委ねないといけないのか。

 

 

物語はね、現実と並行しているからいいんだ。現実がありつつ物語があるからいいの。

物語みたいな現実は私の分野ではない。ツイッターはインターネットなんだよ(?)

現実が一番にあるから、生きていながら嗜好しているから、いいんだ。だから文学少女なんでしょ?

喋り方が緑ちゃんみたいになってはいけないのよ。

まったく。