温度感のある景色

自分のために書きます。

モラトリアムっぽいwww

何に価値を感じるか。

何かに価値があると”信じる”。

その根拠が最終的には自分にあることの大きさ。

非現実を生み出すことの出来る人に、現実はどう写っているのだろう。

 

考えても意味の無いことを考えられるのは生きることに余裕があるからに他ならない。

そんなはずがないから、「現代」のせいにしたくなる。

世界が広くなった分個人は空虚になっているとでも言いたげに。

境界が無くなった分主張しなければ実存を確認できないとでも言うのか。

不自由なく暮らせていることの不幸。

幸せすぎることの哀しみ。

 

区切られた生活の苦しさがあり、

解放があることを羨み、

覆せない制約に怯え、

今、終わりの遠さを嘆いている。

きっとおじいさんおばあさんの話を聞けばいいんだな

30代くらいまでの人の生活しか見えないから色々不安になる。

いや生活なんて見てない。見せたいものを見せられているだけか。

 

つまらないなあ

つまらない

でもそんな感覚を誰が信じていいと言った?

より多くの人が感じる価値を、動かしようの無い現実を、どれだけ獲得できるか

狩猟。

 

否定するのは当たり前。

否定することによって否定が覆されればいいし、否定する過程で私の正当性が少しでも認められればいい。そうでなかったとしても否定しきった事実は評価に値してほしいし、反論できないのであれば否定される筋合いはない。

自分で言っていてつまらない、狭い人間だなあと思った。

つまらない人間であることを自覚していれば正当化されるみたいな環境は果たして自分を壊してくれるのか。

頑なに展開する証明で自分の硬さを信じたい。

自分の声が自分の耳を振るわすことが重要なのだ。

「きっとこんな話し方一年前はしてなかったよ」

 

謝れ、そして感謝しろ。

言葉にすがっている人間に簡単に出来事は降りてこない。

空っぽの字体だけに答えを求めるのは間違っているような気がしていても、

私は私を撫でて抱く。

 

 

楽しいことってなんだったのかな

人と対等に向き合うって何かな

好きなものって本当に自分だけだった?

自分自身が思っていることなのにどうして自分に「モラトリアムっぽいwww」とか言われなきゃなんないのか。甚だ遺憾。