温度感のある景色

自分のために書きます。

読書ノートはじめました

読書ノートなるものを見つけました

 

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中こんな感じ
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みすず書房70周年記念に作成されたものみたい
どうやら一般販売はされていないようでジュンク堂様々ですね
 
趣味、本を読むこと
ってよくプロフィール帳に書いてた
今も趣味聞かれたらそう答えるかな
でもそれって趣味なのかなぁって思ったんだよね
  1.  仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「―は読書です」「―と実益を兼ねる」「多―」
  1.  どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向。「―の悪い飾り付け」「少女―」
  2.  
先月疲れてた時には本読もうなんて思えなかった
何かを取り込む気持ちにならなかった。
この前はとっても本が読みたかった、本を読むという行為をしたかった、
なのに、どの本を手に取っても良いなと思えなかった。
それどころか「本読むのって意味あるのかな」って思ってた自分がいて。
 
そもそもこの時の本って小説なんだよね
小説読んで何が得られるのかなと思ったの。
で、考えました。
本を読むことは、読み手の内部に何かが積み重なっていくことだとしたとき、
小説とビジネス書(あえてその2つとする)ではその効能が違うのかなと。
 
ビジネス書は私の言動を簡単に変えられる。それは私の知識が少ないこともあるし、冊数をこなしていないから発見が多いし、世の中が変化していく限り良書も変わるから、みたいなことが理由なんだと思う。
 
でも、小説によって私の人となりはもう変わらない気がしてきていて。
自分が社会的に経験してきたことが増えて、自分の目を通して見た世界の鮮やかさも、その広さも、実感として知っているから。本じゃなくても世界はあるんだよね。
逆を言えば、本の中で生きている時間の方がこれまでの人生多かったということかもしれないね。だからこれはきっと私が大人に、というか確実に年を重ねた結果であって喜ばしい変化なのかな。(また”本”になってしまう。本=小説、物語。)
どんな良書も愚作も、私から”本”を読む時間を奪えないと思うし私を私でなくすることも無いかな。
 
だから衝撃の量が違っていて、衝撃・刺激を求めるならばビジネス書!みたいな?
社会的に生きなければと思う自分がそうさせているのだと思います。
他人に貢献することへの依存や
自分の楽しみを信じ切れない弱さが
「小説読むのって意味ないかも」って思わせている。
それは私にとっては良いことではないと思ったのです。上手く説明できないけれど。
 
とはいえ、あんまりブックレビューは好きじゃないんだ。
本から得る喜びって同じ本を読んでいたとしても人によって違うと思うし、共有しようって気にもならないんだよね
多くの人に書かれたものだとしても、受け取る個人は一人だと思ってるから。
(自分が感じたことへの信頼が薄いってことでもあるのだろうけどまあそのくらい社会と距離をとっていく生き方をする人間なのかなと思うようにしてる)
 
でも、とにかく、一瞬でも無意味だなって思った自分がすごく嫌だった
だから、
自分だけの喜びが他人の価値になればそんなに良いことは無いだろうなっておもった。
なんとなく「本をよく読みます」じゃなくて、他人の目に見やすい形で自分の行動を保存しておくことに意味を見出す自分がいるのかなと。
歩数と歩いた距離が一致すればいいなと思ってます。
 
まあという訳で買ってみました。初めてみました。
 これ何ページあるのか正確にはわからないんだけど
夏休みまでにどれだけ書けるか
意識的に本を読んでみます。