温度感のある景色

自分のために書きます。

人間は一人にはなれない

 

何者にもならなくていい、と思えたらどんなに楽か

何も出来なくてもいい、と思えたらどんなに自由か

 

お前が何になるかなんて誰も期待してないよ、と言われても目指し続けるだろう

そのままでも十分だよ、と言われても反発するだろう

 

自分が、他の誰でもなく自分が、そう思えたら、見える世界は変わるだろう。

 

「まだ無理だった」そう言って許される期間があと半年あるのだとしたら、一度許されてもいいのではないか。

そう思ってしまうほど不安だ。

不安はどこかから、忍び寄ってくる。私の領域に足を踏み入れてくる。ぞわっとする。

 

どんな言葉も予想できる。だから予想もしない何かを求める。

予想もしない何かこそ「少し休めば」なんだと思う。

 

こんな弱気なことを思うのは大概弱っているときだと思っていた。

でも昨日グランドホスト控えめにいって失敗していないし、普通にこなせた。出来ると思っていたけれど、周りの反応は「予想以上」という褒め言葉ばかりで、嬉しい反面 あ、意外な一面を見せられたのか。と思った。

だから別に全然だめだめって訳じゃない。むしろもっとやりたいこともあって、いっぱいタスクという名の三文字の何かもあって、考えたいことがあって幸せなくらいだ。

それなのに

 

自信が無かったり、自己肯定ができないのは、自分を裏切り続けてしまうから。

期待している行動がとれなかった時の落胆が自分に対して沢山あるから。

そして、上手くいく自分が階段を昇る度に、だめな自分とのギャップは広がる。

 

とにかく、とにかく、今1ヶ月全てを許されてシャットダウンしたい。

大好きな接客も、イベントの準備も、授業も、友達のTwitterも、全て閉じてしまいたい。世界からいなくなりたい。

もとからいないようなものなのに、世界にいたいと思うから世界に登場できるのに、その権利を捨てたい。

 

 

おう、めっちゃ病んでる! 

バイト先のフリーターの人のセクハラ発言をふと思い出してすっごい気分悪いwww

世界はすっごい楽しいと思うし、すっごい黒いと思うし、何もかも生きてるから感じられることです。

 

 

深夜は何時までか問題と東京のタクシー

2時は丑三つ時だし、3時から4時って大体速く過ぎるけど寝落ちの可能性が一番高くなる時間。

5時はもう朝だよねまだ寝てていいけど。でも5時半って大体起きなきゃってなるときじゃないだろうか。

日本人の平均起床時間は6時15とかだっけ?なんかすごい早く感じたのを覚えてるから6時半とかその辺りだと思う。

で、4時はどっち?

 

そしてタクシーの運転手さんってどういう仕組みになってるのかしら。

自由にそのエリアを巡っていていいのかな。

でも前に地元で、仲良し6人組をうちに泊めたときだからもう本当に随分と前だけど、そしてみんなの思い出にすごく残っているときだけど、

南口にある私の家に北口からタクシーで帰ろうと思ったら、「わかんない」って言われたんだよね普通に通じるはずの家の近くの病院の名前が。

だからエリアの指定はあると思うんだけど...でも東京なんて広くて狭くて広いしなあ

 

あとさ、たまに10円とかまけてくれる時あるし、

あと、どこから乗ったかメモしてる時あるし、

どんな仕組みなのかしら。

そして新卒のタクシー運転手って見たこと無いけどなんでなの?

リタイヤ後の職業ってほど年寄りでもないし、みんなベテランに見えるんだけど。

 

横の道、ほんとタクシーしか通ってない。すごいな。

ウーバーはやく乗ってみたいな。

 

そんなタクシーのお話しでした。

六月いっぴ

しばらく止まっていたイベントを動かすときがきました。

 

過去使っていたドライブをみて

昔はいいなあとどうしても思ってしまう。

羨んだらそこでおしまいな気もしたりしなかったり。

どちらにしろ、今fbをしてくれる人が少なくて、どんどん我流になっていってるなと。それは悪いこととは思わないけど、相対的なスキルは低下していく。

停滞は降下だと思う。

 

あとは、そういう意味でも

短期的にプロジェクトベースでやることより、組織に入って学ぶ必要があると感じる。

wantedlyに自己紹介を書いたら書くことが無さ過ぎてびっくりした。

でもそういうもんなんだと思う。

 

水曜日は昨日がハードだからかもうほんとにだめ。定休日。

金曜の午前もいつもそんな感じ。

必修の経済学、マクロもミクロも落としたらほんとに留年コースだよう。

その辺を考えないようにしてよしとするところも本当に好きじゃないし、でもコアな私の部分であると感じる。

 

これは愚痴だけど、入った時点で先輩が後輩のままだったから、私はどうしてもOBOGを求めてしまうのだと感じる。

先輩面をするのと、先輩であることは違う。

中学も高校もそして大学生になっても、いつになっても先輩を必要としているし私は先輩になりきれないままだな。

来年には先輩になれるのかしら。そのためにもプレーヤーで学べることがもっとあるはず。外に求めるものがあるはず。入れるべき知識が、思考のコマがあるはず。

 

どうしたものかなあで終わらないようにしたい。

納得のいくものにするためには過程がだいじだ。勉強しよう。お話ししよう。

 

とはいえ疲れちゃうからな〜〜〜〜

ママは教祖様

生まれて初めての宗教はきみです。

っていう歌詞があるけど、

多くの人にとってはじめての宗教は親なんじゃないのかな

 

私にとっての宗教は母である。と思った。

教祖がいたから、その教祖に従えないのならば別の教祖を探さなければならないと思っていた。感じに似ていると思う。

母という教祖のどこを信じて何を批判するか、私はそんな風にどんどん思想家になっていった。

 

もし親がふたり揃っていたら、そんなどうしようもない意味も無い仮定のはなしをすると(そして自分の特異性を無意識に主張してしまうと)

親同士夫婦でも喧嘩する。考え方が違う。だからふたつの色が混ざり合う。

 

母をみていた私にとっては、母を批判するおじいちゃんは敵。敵から攻撃される理由を見せてしまった私は守られ、またその隙があったことを叱られた。

真っ向から否定され、出て行けといわれ、出来る子賢い子可愛い子といわれ、だからもっとがんばれと。まるで躁鬱病のような言われようだとしか思えない。

でもそれが私の信じるべきものだった。

 

でも自分の中のナレーションの方が大きくなって、人に勝つという信条に従うために、教祖を変えなければと思った。

 

だから色んな人を100%信じようと努力した。

全て受け入れられる考え方を探った。

ほんとうは気づいていた。ありがちな話。

 

気づいてからもさ、なかなか上手くいかない訳ですよ。

この期間はきっと長いのだろうと覚悟したものの、

みんなには宗教があるように思うわけで。

もう何も信じられないような気がしてしまって。

疑心暗鬼になり、内に閉じこもりはじめたら、今度は自分の考えばかり正しいような気がしてきて。それがすごーーく嫌で。

 

 

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なんでこんなことを思ったのかというと

『知性だけが武器である』っていう本を今日手にとったんですね

知性だけが武器である / 白取 春彦【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア

AmazonのURLにしないことがせめてものあがき)

 

もうね、「知性」って言葉に弱いんですよ。

表紙の色が白黒銀なのがいい。

こういうhowto本は今とりあえずいらない気持ちなのに買ってしまう。

「知性」「知的」その言葉はとても真で、とても綺麗に思える。強く思える。理想に思う。

「知性のある、美しい子になるように」と名付けられたとなんども聞いた。

この字が好きだと何度も聞いた。

生きることに意味があるのだと、その度に思うのだ。生きなければいけない、それを達成するため。

 

そしてね

私もきっと宗教をたちあげなければ、教祖にならなきゃと思っているのだなと思った。

誰もいないなら、自分のために自分は教祖にならなきゃと思っている気がする。

でもきっと違うんだろうなと。

揺らがない信仰をつくらなきゃ!と思うから苦しい。

そういうことじゃないんだろうな。

 

 

とりあえず何かをちゃんと素直にうけとること

受け入れても自分は崩れないと知ること

それが本当に分かるようになる経験がきっといつか訪れるはずでその時は今やっとの思いで保っている立ち方すら崩されてしまう

その経験を”取りに”行かなきゃ。

と今思いむずむずしてますってお話しでした。

 

 

最近、ふと真理が降ってくる瞬間がおおくて

そのときにちゃんと残しとかないとすぐ逃してしまう

なんかそういう時に使うTwitterをちゃんとほんとの意味でふぁぼってくれる人を集めないといけないなと思っています。

「意識くらい高いところに置かないと夢はみれない」

 

 

読書ノートはじめました

読書ノートなるものを見つけました

 

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中こんな感じ
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みすず書房70周年記念に作成されたものみたい
どうやら一般販売はされていないようでジュンク堂様々ですね
 
趣味、本を読むこと
ってよくプロフィール帳に書いてた
今も趣味聞かれたらそう答えるかな
でもそれって趣味なのかなぁって思ったんだよね
  1.  仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「―は読書です」「―と実益を兼ねる」「多―」
  1.  どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向。「―の悪い飾り付け」「少女―」
  2.  
先月疲れてた時には本読もうなんて思えなかった
何かを取り込む気持ちにならなかった。
この前はとっても本が読みたかった、本を読むという行為をしたかった、
なのに、どの本を手に取っても良いなと思えなかった。
それどころか「本読むのって意味あるのかな」って思ってた自分がいて。
 
そもそもこの時の本って小説なんだよね
小説読んで何が得られるのかなと思ったの。
で、考えました。
本を読むことは、読み手の内部に何かが積み重なっていくことだとしたとき、
小説とビジネス書(あえてその2つとする)ではその効能が違うのかなと。
 
ビジネス書は私の言動を簡単に変えられる。それは私の知識が少ないこともあるし、冊数をこなしていないから発見が多いし、世の中が変化していく限り良書も変わるから、みたいなことが理由なんだと思う。
 
でも、小説によって私の人となりはもう変わらない気がしてきていて。
自分が社会的に経験してきたことが増えて、自分の目を通して見た世界の鮮やかさも、その広さも、実感として知っているから。本じゃなくても世界はあるんだよね。
逆を言えば、本の中で生きている時間の方がこれまでの人生多かったということかもしれないね。だからこれはきっと私が大人に、というか確実に年を重ねた結果であって喜ばしい変化なのかな。(また”本”になってしまう。本=小説、物語。)
どんな良書も愚作も、私から”本”を読む時間を奪えないと思うし私を私でなくすることも無いかな。
 
だから衝撃の量が違っていて、衝撃・刺激を求めるならばビジネス書!みたいな?
社会的に生きなければと思う自分がそうさせているのだと思います。
他人に貢献することへの依存や
自分の楽しみを信じ切れない弱さが
「小説読むのって意味ないかも」って思わせている。
それは私にとっては良いことではないと思ったのです。上手く説明できないけれど。
 
とはいえ、あんまりブックレビューは好きじゃないんだ。
本から得る喜びって同じ本を読んでいたとしても人によって違うと思うし、共有しようって気にもならないんだよね
多くの人に書かれたものだとしても、受け取る個人は一人だと思ってるから。
(自分が感じたことへの信頼が薄いってことでもあるのだろうけどまあそのくらい社会と距離をとっていく生き方をする人間なのかなと思うようにしてる)
 
でも、とにかく、一瞬でも無意味だなって思った自分がすごく嫌だった
だから、
自分だけの喜びが他人の価値になればそんなに良いことは無いだろうなっておもった。
なんとなく「本をよく読みます」じゃなくて、他人の目に見やすい形で自分の行動を保存しておくことに意味を見出す自分がいるのかなと。
歩数と歩いた距離が一致すればいいなと思ってます。
 
まあという訳で買ってみました。初めてみました。
 これ何ページあるのか正確にはわからないんだけど
夏休みまでにどれだけ書けるか
意識的に本を読んでみます。
 
 
 

大卒認定試験は無いの?

中間試験さぼってます。

経営組織論レジュメみたらとても面白そう。

そして気づいたけど今期教科書一冊も買ってませんでした。

16週のうち7週終わったわけですが、出席を加味しないのであればこれからまだ間に合うと信じたいですね♡

確実に価値のある大卒という称号はとった方がいいと思うものの、

なぜ行かないのかは自分でも自分に証明がつきません。

誰からも叱咤激励されたくないと思っていることも間違いです。

 

つまんないの〜〜〜

授業行っても暇つぶしというかその時間かけてやりたいことすらないからだめなんだな!笑

さて、バイトまで何しよ

 

 

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面白いことくださいってなったときに

自分が出来ることを言えないと何もこないなと思いました。

パーソナリティとかは自分で言えることじゃないし、

人柄で惹き付けられるわけがないクズって分かってるからこそ

スキルって大事。

自分がなんて自己紹介したいか、どう紹介されたいかを突き詰める前期であればいいなと思ってます。あと二ヶ月でね

面白いこと落ちてないかな〜〜

 

まあこう思えるようになっただけ回復だね

荒療治は成功している模様

モラトリアムっぽいwww

何に価値を感じるか。

何かに価値があると”信じる”。

その根拠が最終的には自分にあることの大きさ。

非現実を生み出すことの出来る人に、現実はどう写っているのだろう。

 

考えても意味の無いことを考えられるのは生きることに余裕があるからに他ならない。

そんなはずがないから、「現代」のせいにしたくなる。

世界が広くなった分個人は空虚になっているとでも言いたげに。

境界が無くなった分主張しなければ実存を確認できないとでも言うのか。

不自由なく暮らせていることの不幸。

幸せすぎることの哀しみ。

 

区切られた生活の苦しさがあり、

解放があることを羨み、

覆せない制約に怯え、

今、終わりの遠さを嘆いている。

きっとおじいさんおばあさんの話を聞けばいいんだな

30代くらいまでの人の生活しか見えないから色々不安になる。

いや生活なんて見てない。見せたいものを見せられているだけか。

 

つまらないなあ

つまらない

でもそんな感覚を誰が信じていいと言った?

より多くの人が感じる価値を、動かしようの無い現実を、どれだけ獲得できるか

狩猟。

 

否定するのは当たり前。

否定することによって否定が覆されればいいし、否定する過程で私の正当性が少しでも認められればいい。そうでなかったとしても否定しきった事実は評価に値してほしいし、反論できないのであれば否定される筋合いはない。

自分で言っていてつまらない、狭い人間だなあと思った。

つまらない人間であることを自覚していれば正当化されるみたいな環境は果たして自分を壊してくれるのか。

頑なに展開する証明で自分の硬さを信じたい。

自分の声が自分の耳を振るわすことが重要なのだ。

「きっとこんな話し方一年前はしてなかったよ」

 

謝れ、そして感謝しろ。

言葉にすがっている人間に簡単に出来事は降りてこない。

空っぽの字体だけに答えを求めるのは間違っているような気がしていても、

私は私を撫でて抱く。

 

 

楽しいことってなんだったのかな

人と対等に向き合うって何かな

好きなものって本当に自分だけだった?

自分自身が思っていることなのにどうして自分に「モラトリアムっぽいwww」とか言われなきゃなんないのか。甚だ遺憾。